【映画】「シン・ゴジラ」〜初代「ゴジラ」へのオマージュとして

f:id:hsmt1975:20160817012232j:plain(C)2016 TOHO CO.,LTD.


【先の戦争と戦後の境としての初代「ゴジラ」】

 庵野秀明監督の話題作「シン・ゴジラ」は、はっきりいってしまえば、諦めの映画である。もっといえば、祭りのあとですらある。それは庵野監督自身が一番知っているに違いない。

 庵野作品をほぼ観ていない私は、庵野監督の手法をどうこう語れる立場にない。しかしながら、初代「ゴジラ」を観れば、「シン・ゴジラ」がそれのオマージュとなっていることは明らかだろう。後者においても、ゴジラは凍結されたまま、死ぬことなく映画は終わる。歴代の「ゴジラ」においても、ゴジラは決して途絶えることがなかった。それが意味するものは何か。なぜ、ゴジラは続いてきたのか。映画「ゴジラ」シリーズを考えるとき、そこを素通りすることはできない。

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【告知】Twitterで知ったノンフィクション賞創設について

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 2016年(平成28年)という年は、日本が戦後復興から再度経済成長を成し遂げ、高度経済成長時代を迎え、バブル経済期を経験した後、つまり、半世紀足らずでそれらを遂げた期間に日本人が自らに貼った伏線「45年以前より経済発展した俺ら日本人スゴイ」が回収された年として歴史に記憶されるだろう。

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【ストーリー】映画「ある優しき殺人者の記録」の一部分を書き換え

 新婚旅行が韓国なんて、とわたしは気乗りのしないまま、それでも、凌太が初めての海外旅行である韓国の焼き肉を楽しみにしていることに配慮して、関西国際空港から二人で一緒に飛行機に乗った。問題が起これば韓国からなんてすぐに帰国できるし、何なら凌太を韓国に置いたままひとりで帰ってもいい。わたしはそんなことを考えながら、ほとんど凌太と会話することなく、機内をやり過ごした。

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【音楽】浜田省吾の左派性にみる80年代日本とアメリカ

 浜田省吾は1952年、広島県竹原市に生まれている。浜田が自身の楽曲に政治色を出し始めたのはアルバム『Home Bound』からだが、所謂、「政治の季節」からすると、浜田は年少派ということになるだろうか。政治的な活動としては、1971年にアメリカが遂行するベトナム戦争に後ろから加担しながらも、広島平和記念式典に出席した佐藤栄作首相の矛盾を糾弾する反対運動に参加している(Wikipediaより)。『Home Bound』以降の政治色を出した楽曲が示しているように、浜田省吾という人物を左派・リベラルと規定してもいいはずだ。ちなみに、Wikipediaによると、浜田の父親は保守思想の持ち主だったらしい。

 1986年にリリースされた『J.Boy』という二枚組のアルバムの中に、「AMERICA」という楽曲がある。浜田省吾というシンガー・ソングライターは、基本的には、少しテンポを遅くしたエイト・ビートの楽曲をもっとも得意とすると私は思っている(例えば、「夏の終わり」等)。意外だが、「遠くへ ~1973年・春・20才~」は、当初、テンポの速いエイト・ビートだった。

 話を戻そう。浜田省吾の「AMERICA」という楽曲はその歌詞を丹念に読めば、高度経済成長期から85年のプラザ合意を克服し、経済成長を邁進する日本とアメリカの両姿が浮かび上がってくる。一例を挙げるならば、トヨタ自動車が80年代後半に、アメリカ人にボコボコにされるニュース映像を観た人は多いはずだ。しかし、トヨタ自動車アメリカに工場を建て、現地のアメリカ人を雇用することでそれを克服した。端的にいえば、「AMERICA」という楽曲の歌詞はそれらの直前、84年に東京を離れてアメリカに渡った日本人の男と、ニューヨークでダンサーになることを夢みていた女の喪失が歌われている。

 男と女はそれぞれの想いを抱いて東京を離れ、アメリカの西海岸に渡った。映画の中のアメリカン・ドリームを夢みて。しかしながら、男は東京を離れて渡航したアメリカ西海岸で、鏡に映った日本人としての自分自身を見る。帰る故郷を喪失した自分自身の姿を。彼はアメリカに居ながらにして、東京に居るままの日本人としての自分自身を見つけてしまった。ここで重要なのは、彼が帰る故郷を喪失していることだ。東京を離れてアメリカに渡航したものの、そこにあったアメリカは、故郷、日本の東京と同じ風景だったのだ。つまり、男にとって、東京とアメリカ西海岸は何も変わらない風景だったわけだ。楽曲のサビ部分で、「We are looking for AMERICA」浜田省吾は歌う。「映画の中のアメリカン・ドリーム」を夢みていた女の喪失とともに。この女の喪失感を比喩的に表現しているのが、モーテルの軋むベッドの上で、「“もっと強く抱いて” と震えてたあの娘」という歌詞だろう。

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【エッセイ】2016年、参議院選挙投票日の憂鬱

 参議院選挙の投票日にこんな文章を書くのもなんだか憂鬱だが、もっと憂鬱なのは、冒頭から夢も希望もないことを書かざるを得ないことだ。

 今回の参議院選挙で与党、現政権が圧勝するのは誰もが知っている。そして、その圧勝するであろう現政権の内閣総理大臣である安倍晋三首相は、経済政策としては「アベノミクス」というデフレ脱却を推進する実体経済を伴わない造語を連呼しながら果てしのない夢をみていて、どうせいつか改憲するであろう憲法草案は日米安保の観点からだけを考慮すると、彼が提唱する「戦後レジームからの脱却」どころか「戦後レジームの強化」だ。今回の参議院選挙の主な争点となっている増税と再分配、高齢者福祉の充実、年金問題、そして様々な格差是正については、与党のみならず共闘を掲げる野党も似たり寄ったりである。

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【書評】早川タダノリ著 /「日本スゴイ」のディストピア――戦時下自画自賛の系譜

嫌韓本と日本礼賛本の氾濫】

 嫌韓愛国心高揚を掲げた日本を自画自賛する新書等が、本屋の目立つ場所に平積みされ始めたのはいつ頃からだろうか。現政権を担う内閣総理大臣安倍晋三首相が「美しい日本」、「一億総活躍社会」等、きな臭い言葉を使い始めたことは、おそらく、嫌韓本や日本礼賛本の氾濫の結果だと思われる。安倍晋三首相をあげつらうのならば、むしろ、「アベノミクス」という経済的な造語を揶揄するべきかもしれない。実際、マイノリティ排斥と自国礼賛は、経済的な問題に起因するからだ。

 経済的に凋落し始めた国家は革新なき保守に向かい、閉塞的で自国礼賛的言説によって、現実から逃避し始める傾向があることは歴史が証明している。もちろん、自国礼賛、つまり、ナショナリズムの高揚とはナルシシズムの慰撫とも関連しているだろう。

 早川タダノリ著『「日本スゴイ」のディストピア―戦時下自画自賛の系譜』は、昭和のはじまりから大東亜戦争敗戦までの間に出版された日本礼賛本、それも皇国史観を背景にした大東亜戦時下の「トンデモなく日本スゴイ本」が、丹念な資料蒐集によって集約された本である。思わず笑ってしまいそうになるくだらない「トンデモ本」から(実際には笑えないのだが)、天皇を頂点とした国体下での臣民のあるべき姿を大真面目に論じた「トンデモ本」まで、約五十冊の「トンデモなく日本スゴイ本」が夥しい参考文献とともに紹介されている。それらすべてをここで列挙することはできないが、私がこの本の中で特に目についた箇所は、著者自身も本書で述べているように、現代の日本において尚残存しているものも多い。

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【映画】Buffalo'66

【ユーモアからヒューモアへの転換】

 映画「Buffalo'66」について、今更語るべきことは何もないように思える。それでもこの映画について何かを語るとするならば、少しだけ着眼点を変えなければならない。つまり、ありきたりな鑑賞の仕方ではなく、私はこの映画から少し逸脱する必要があるはずだ。

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