【エッセイ】コズエちゃんの思い出

 ロラン・バルトが「まなざし」について書いていた本を本棚から引っ張り出そうとしていたとき、ドアのチャイムが鳴った。昨日注文したAmazonからの配達だった。すぐに梱包を破ると、ロラン・バルトの『明るい部屋』が新品のまま、まるで私を責めるようにダンボールに収まっていた。

 私には同じ本を二冊買ってしまう癖が以前からよくある。色んな本を二冊ずつ持っていて、一冊は必ず誰かに譲ってしまう。そうした後で、ようやくその本を読むのだ。

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【エッセイ】釣りについて

 釣りという行為には何かしら考えさせられるものがある。その行為は釣りをしない人々が一般的に抱くイメージとはかけ離れている。凡その釣りをしない人々がそれに抱くイメージは、照りつける太陽の下、老若男女が海を呆然と眺めながら、竿から釣り糸を垂らしている間延びしたイメージだろう。そのイメージは釣り人の受動的な身体拘束性を想起させるに違いない。

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【エッセイ】ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

 今の実家がある新興住宅地に越してきたのは、確か、昭和天皇崩御の年で、元号が平成に変わった年だったはずだ。越してきた頃は、私の実家と畑を挟んだ隣の家しかなく、如何せん、人気のない淋しい山の斜面だから、田んぼや畑から響いてくる蛙や虫の音に満ちており、どこから漂うのかわからないけど、秋の涼の季節には金木犀の香りが鼻腔を和ませた。

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【映画】「シン・ゴジラ」〜初代「ゴジラ」へのオマージュとして

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【先の戦争と戦後の境としての初代「ゴジラ」】

 庵野秀明監督の話題作「シン・ゴジラ」は、はっきりいってしまえば、諦めの映画である。もっといえば、祭りのあとですらある。それは庵野監督自身が一番知っているに違いない。

 庵野作品をほぼ観ていない私は、庵野監督の手法をどうこう語れる立場にない。しかしながら、初代「ゴジラ」を観れば、「シン・ゴジラ」がそれのオマージュとなっていることは明らかだろう。後者においても、ゴジラは凍結されたまま、死ぬことなく映画は終わる。歴代の「ゴジラ」においても、ゴジラは決して途絶えることがなかった。それが意味するものは何か。なぜ、ゴジラは続いてきたのか。映画「ゴジラ」シリーズを考えるとき、そこを素通りすることはできない。

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【告知】Twitterで知ったノンフィクション賞創設について

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 2016年(平成28年)という年は、日本が戦後復興から再度経済成長を成し遂げ、高度経済成長時代を迎え、バブル経済期を経験した後、つまり、半世紀足らずでそれらを遂げた期間に日本人が自らに貼った伏線「45年以前より経済発展した俺ら日本人スゴイ」が回収された年として歴史に記憶されるだろう。

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