【散文】ママ、手を繋いで

マサル君のママはいつでもニコニコとマサル君に微笑みかけます。

そして毎晩マサル君が眠りにつくときに、

「欲しいものを言ってごらん」と優しい声でささやきます。

マサル君はなんでも欲しいものをママから買ってもらえるのです。

 

ある日、マサル君はママとデパートへ買い物に行った帰り道、

近所の仲良しのお友達とすれ違いました。

そのお友達はお母さんと手を繋いで歩いていました。

お友達は何も持っていなかったけれど、

とても楽しそうだとマサル君は思いました。

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【エッセイ】中年男の淋しさ、エイジズムについて

 いつ頃からだろうか。もう随分、長い間、中年男の淋しさということが、繰り返しあらゆる場所で語られている。もちろん、中年男といっても、三十代から六十代くらいの初老まで幅広いのではあるが、ここでは、定年退職した初老に近い六十代に焦点を当ててみようと思う。つまり、団塊世代よりは少し年下で、それでも、バブル経済謳歌し、その後のバブル経済崩壊から現代までの日本経済停滞を骨身に経験している世代だ。そんな六十代中年男の淋しさについて、少々、軽く考えてみたい(以下、六十代という呼称は省く)。

 考えてみれば、そんな中年男たちは90年代には既に中年男だったわけで、今から二十年前、渋谷という街で公然と行われていた、女子高校生相手の援助交際という名の売春に汗水垂らしていた中年男もいるのだろうと思う。私自身は、当時、二十歳と少しという年齢もあって、はっきり言えば、そんな中年男たちを嫌悪し、敵対視していた。当然だが、歳の近い女の子たちが中年男に万札でほいほい買われているのを見るのは辛いものがある。それこそ、淋しさと表現してもいいような感覚だった。実際に淋しかったのは、女子高校生も含めて誰だったのかはよくわからないけれど。

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【書評】吉田修一/悪人

 この小説を普通に読めば、善と悪との二項対立の結果としての善悪の不在、とでもいったものに帰結してしまうだろう。そのような小説は近代以降既にありふれたものとなっており、読者をそこに駆り立てる技術の巧拙、つまり、アミューズメントとでもいったような要素がなければ、なかなか読者にページを捲らせることは難しい。では、そうではない観点からこの小説を読むことは可能だろうか。

 福岡市を中心としてその周辺地方都市を舞台に展開されるこのメロドラマを、もう少し大きな円として見てみると面白いかもしれない。それは、東京という中心から見たその周縁である福岡市とそのまた周縁である地方都市という観点である。戦後の高度経済成長、及び、その資本によって、地方都市における地域共同体とでもいうものは解体した。その結果、地方都市は奇妙な発展を遂げる。それは、日本全国総東京化である。そのような地方都市を、アトム化した個が寄る辺のないままにふわふわと漂っている。それがこの小説の大まかな構造である。

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【エッセイ】荒井謙さんのこと

 死者について書くことは難しい。そして、ある意味、不誠実でもある。なぜなら、彼らは既に死んでいるからだ。つまり、彼らはこの文章を読むこともなく、応答することもない。その一方向性は、ときに彼らへの冒涜となる可能性を孕む。生きている者、死の側ではなく、生というこちら側にいる者、つまり、彼らと思い出を共有していると思い込んでいる側の人間が、記憶だけを頼りに彼らについて文章を綴ることの滑稽さ、そして、彼らの応答不可能性ゆえに生じる不誠実さ、これらを踏まえた上で、それでも、彼らについて文章を綴ろうとする傲慢さを恥じながら、私はこれから少しばかり、死者と過ごした記憶の糸を辿ってみたいと思う。もう一度だけ言う。これは、生きている人間の、一方向的な、誤解の可能性を孕む、不誠実な文章である。

 元The Vincentsのボーカルであった荒井謙さんの訃報を知ったとき、私は特別驚くことはなかった。もちろん、一時的に、私も悲しみに暮れたが、謙さんの晩年を知る身にとっては、ついに訪れたか、といった感慨の方が深かった。私の境遇を案じてか、度々、電話をくれた謙さんは常に酔っ払っており、ときには、電話口で嘔吐することもあった。また飲んでいるのだな、と思いつつも、私は酒を止めるように忠告することはしなかった。なぜなら、私もまた、酒浸りの側の人間だったからである。私にとっては、一回りも年の離れた兄貴分の謙さんではあったが、敢えていえば、私たちはよく似た性格だったと思う。どう似ていたのかと問われれば少し言葉に窮すが、私も謙さんも極度に寂しがり屋であり、そして、弱さを抱えていた。その弱さを共有していることを知ったのは、初めて出会い、初めてお互いのことを語り合った新宿御苑でのことだった。

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【エッセイ】男性の突起物について

 アウシュヴィッツガス室へ全裸で連れ込まれるユダヤ人男性たちの写真を評して、男性の突起物というのは物哀しさを誘う、と書いたのは誰だっただろうか。誰が書いたどの本だったかは忘れてしまったが、その文章を読んで以来、私は男性の突起物が引き起こす様々な悲喜劇に、時々、思いを馳せるようになった。言うまでもなく、男性の突起物は生殖器としての機能が遺伝的に付与されており、その限りにおいては、他の動植物の雄と何ら変わりがない。人間の男性もまた、本能によって女性との生殖行為に励むのであり、より優れた子孫を残すために、あの奇妙な突起物が備えられている。

 しかしながら、人間の男性には社会的な規範、つまり、善悪や真偽を判断する理性が植え付けられており、おそらく、この理性こそが、男性の突起物に纏わる様々な悲喜劇の源なのだろうと思う。男性の突起物は(以下、人間という呼称は省く)、その人自身の意思決定でコントロールすることができない。ポール・オースターは『写字室の旅』において、男性自身の意思に反するその突起物を、ビッグ・ショットと揶揄的に表現している。ビッグかスモールかはともかくとして、まるでアルコール中毒者がテキーラのショットを何杯飲んでも止められないように、男性の突起物もまたその人自身の意思で海綿体の充血を止めることができない。

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【詩】白いおばあさんの歌

今日という日の、なんと昏かったこと

明日という日の、なんと薄明がかった蒼きこと

昨日という日の、なんと眩かったこと

ぼくはいったいどの時に在ったことだろう

 

もうよそう、未来礼賛のぼくたちよ

まるで異国の街娼らのため息のように

未来は遙か遠く、ぼくの記憶のうちに既に在って

過去は遠く及び、ぼくの記憶のうちから消え去っていく 

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【詩】黒い通勤者

窓外の空が薄いオレンジ色に変わりはじめる頃、

僕たちは、連なって吊り革をつかむ、黒い通勤者。

一瞬、橋の上に、携帯電話のカメラを空に向けた少女が過ぎり、

黒い通勤者たちと同じように、僕も四角い空を見上げる。

西の果てに沈んでいく途上に、空より濃いオレンジ色のマル。

しばらくすると、電車の轟音とともに、それも過ぎ去っていき、

あの少女はとっくに消えてしまったというのに。

少女のスカートは何色だっただろう、

君も見ただろうか、今このとき、失われてしまった多くのものたちを。

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