【エッセー】広島のこと

広島の夏は暑い。京都のような盆地の暑さではないが、市街地が海に面していないので独特の暑さがあるのだ。高校を中退した後、山陽本線の列車に乗って広島までよく一人で行ったものだ。何をするともなく、ただひたすら広島の街を歩き回った。歩くのに疲れると太田川沿いに座れる場所を探してコーラを飲みながら流れる汗を拭いた。そして晴れ渡った空を何度も見上げた。今自分が見ているこの青い空は昭和二十年八月六日の空と同じ空なんだ、と思うとなんだか不思議な気分になったものだ。

原爆資料館へは二度ほど行ったことがある。一度目は幼い頃両親に連れられて行った。館内がやけにしんとしていたせいか、見るものすべてが非現実的な感じがして、幼い僕は全く恐怖感を覚えなかった。資料館を出て両親と広島の市街地を歩きながら、両親に向かって必死に怖がっているふりをしてみせたのを憶えている。あのような場所では子供は怖がらなくてはならないのだ、と当時の僕は幼いながらに思っていたらしい。しかしながら先にも述べたとおり僕は何の恐怖感にも襲われていなかった。その証拠に父の運転する帰りの車の中で僕はぐっすりと安眠した。幼いながらにそのことで何か悪いことをしてしまったのではないかと思ったのを憶えている。

二度目に行ったのは小学生の半ばくらいだっただろうか。いつ誰とどういう経緯で行ったのか忘れてしまったが、その頃にはもう分別のついている年頃だったと思う。館内には全身ケロイドの体の人々や被爆直後に水を求めて歩く人々の行列などの写真やその他様々な遺品が無数に展示されていた。一度目同様、僕は別段恐怖を感じなかった。可哀想だという感情も抱かなかった。ただ単に展示してあるものを見ただけだった。被爆者達の姿を自分に置き換えることができなかったのだ。それはまるで遠い昔の絵画、例えばナポレオンを描いた絵画を見るときと同じような感覚だったような気がする。

その日の夜中、僕はサイレンの音で目が覚めた。僕はぼんやりとその音を聞いていた。ふいに僕は何かを思い出した。その後次第に動悸が速まり、僕の体は恐怖で固まった。自分でも信じられないくらいの大声で両親を呼んだのを憶えている。何事かと飛び起きてきた母にしがみついて僕は思いきり泣いた。それ以後しばらくの間、僕はサイレンの音に悩まされることになった。

ある日、僕は家の近くの公園で友達とキャッチボールをしていた。「ブーン」という音が聞こえてきた。その金属的な音は次第に近づいてくる。僕は薄目で眩しい空を見上げて飛行機の姿を認めた。耳を塞いでその場にうずくまった。早くボールを投げろ、と友達が向こうで叫んでいる。しかし僕は動けない。僕はいつまでも耳を塞いでその場にしゃがみこんでいた。