【雑記】3.11のこと

東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故が起こって以来、ずっと思い続けているのは、日本という国は面積的に大きな国だったんだなということ。僕は3.11を西日本の最西端で「経験」したのだけど、不謹慎を覚悟でいえば、それは外国で起きた災害と大差がなかった。西日本では地震津波放射能もないのだから。

 それは阪神大震災のときに神戸が酷い状態になっているのに大阪では普段通りの通勤が行われていたという状況に近いかもしれない(知人から聞いた話だが)。もし、3.11のときにTwitterがなければ、僕は当事者意識を持つこともなく、小出裕章氏の講演を聴きに行くこともなかったと思う。もちろん、当事者意識といっても被災地及び東日本で3.11を経験した人に比べれば、僕の当事者意識というのは詭弁にすぎないのだと思う。そういう意味で、3.11が露わにしたのは、東日本と西日本の距離的断絶なのではないかと僕は思っている。確かに交通網は列島を繋いでいるがその途絶は深いのではないかと。

3.11後に瓦礫受け入れ、及び、福島産の食物の問題が浮上して、はじめて西日本在住の人たちは本当の意味で3.11を経験し始めたのではないかと思う。僕は原発問題についてはこれまで黙ってきたのだけど、これからも横目で状況を確認しつつも、発言は敢えて控えようと思っている(今後死ぬまで原発のことばかり考えるわけにもいかないから)。

ただ、ひとつだけ僕自身の中で断言できるような気がすることは、脱原発は世界同時でしかありえないということ。これから新興国が発展するにつれて原発の需要は増えるだろうし、これまで散々原発の恩恵を受けてきた先進国が後進国原発を使うなとは言えないはず。その意味で、脱原発は世界同時でしかありえないだろうと。

初めて3.11について長々と書いてしまった。怠惰な人間なのでいつになるか分からないが、ゲンロンの『福島第一原発観光地化計画』と磯田光一『思想としての東京』を絡めて、いつかこのブログで何か書いてみたいと思う。