【雑記】伊勢佐木町のこと01

僕は引っ越しばかりしていた人間で、これまで関東地方においてあちこちに住んできたものだけど、もう一度住みたい街は何処かと問われると、即答で伊勢佐木町となる。伊勢佐木町という街に魅せられた人間は多いと思うが、僕は伊勢佐木町の人種的混沌に魅せられた人間であり、嘗て繁華街としておおいに栄えた街が衰退途上にありながらも、依然、多人種を交えながら繁華街としての体を保ち、多人種故に生臭い感じのする伊勢佐木町が僕は好きだ。

もちろん、西麻布のクラブなんかでも人種の坩堝は体験できるけれども、僕が好きなのは、そんなソフィスティケートされた小奇麗で小さな箱庭のようなものではなく、街という単位で様々な人種がそこに暮らしている伊勢佐木町という街。

僕は未来のいつか、他国の人間が日本に住み、日本人が他国に住むような、もはや国境線というものが消える世界を勝手に想像している人間で、伊勢佐木町というのはそういう意味ですごく自然に僕が思い描く未来の原型が作られている街だと思う。そういう場所で二十代の後半を過ごせたことは幸せだった。

それでも、たかが国境、されど国境である。これも伊勢佐木町という街で得たもののひとつ。僕は日本人でしかありえないし、不法入国か否かを問わず、中国人は中国人でしかありえない。ここに現代における文学の可能性をみない文学者は贋者だと個人的には思っている。文学は終わったという認識を持つと同時に、文学はまだここにある。