【エッセー】ジャッキーのこと

昔、横浜の伊勢佐木町に住んでいた頃、皆からジャッキーと呼ばれている中国人の知り合いがいた。その男は眼鏡をかけて頭を綺麗に剃り上げていたからジャッキーというあだ名がジャッキー・チェンに由来するものでないことは確かであった。私は彼の本名も生い立ちも知らなかったが、近所に住んでいたから出会うたびにジャッキーと親しみを込めて呼んでいた。彼は私のことをハシモトさんと呼んでいた。 

ジャッキーは昼夜を問わず出会うときは常にシャブでラリっていた。そしてラリっているときの彼の口癖は「アナルセックス最高だよ」であった。私はラリっているときの人間とはまともに話ができないことを知っていたので、ジャッキーのその口癖を聞くと笑みを浮かべながら手を振って立ち去るのが常だった。しかし稀にラリっていないときのジャッキーと出会うこともあった。ラリっていないときのジャッキーの口癖は「ハシモトさん、辛いですよ」であった。そしてラリっていないときのジャッキーはその口癖を言うとそそくさと足早に歩き去って行くのだった。 

その頃私は女の部屋に転がり込んでいて、ろくに仕事もせずに女の金で生活していた。女に小遣いを貰ってはパチンコ屋に行ってスロットばかりやっていた。スロットで勝ったときは仲間と一緒に朝まで酒を飲み、負けたときは部屋に帰って女に甘えた声を出すのだった。はっきり言って私は社会には属していなかったと思う。 

ある日、喫茶店でジャッキーを見かけた。どちらのジャッキーか分からなかったが、とりあえず私はジャッキーに声をかけてテーブルの向かいに座った。「ハシモトさん、辛いですよ」とジャッキーは言った。私は少し安心して「何が辛いんだ、ジャッキー」と、それまで決して発展することのなかったその言葉に問い掛けてみた。「日本良い国です、暮らしやすいね、でも俺中国人、辛いですよ」とジャッキーは答えた。「中国へ帰るつもりはないのか?」と私はさらに問い掛けた。「中国帰らない、帰れない、ダメです、帰りません」とジャッキー。「なぜ?」という私の問いにジャッキーは首を振っただけだった。「ねえ、ジャッキー、俺とおまえは同志だ」と私は言った。「ドウシ?」と言うジャッキーに私は携帯電話を取り出し「同志」と文字を打って見せた。その文字を見たときのジャッキーの瞳はきらきら輝いていて顔に満面の笑みを浮かべて「俺たち、同志」と何度も繰り返すのだった。 

ジャッキーは不法滞在だった。ある日道で出会ったとき「ハシモトさん、50万円で結婚したい、日本の女と」と持ちかけてきた。偽装結婚の手伝いをすることに私は躊躇したが、結局片っ端から知り合いの女にその話を持ちかけた。運よく金に困っていた風俗嬢が興味を示したから、私はその女をジャッキーに紹介してやった。二人が実際に籍を入れたのかどうか私は知らない。 

ある日、中国人の女友達から電話があってジャッキーが死んだことを知らされた。死因はよく分からないが恐らくシャブのやり過ぎじゃないかと中国女は言っていた。その中国女と電話するのは久しぶりだったから「あなた、元気?今どこにいるの?」など中国女は電話の向こうで色々喋っていたが私はほとんど聞いていなかった。私は中国女の拙い日本語を聞きながら、あの日「俺たち、同志」と繰り返し声に出していたときのジャッキーのきらきら輝く瞳を思い浮かべていた。