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【エッセー】河ちゃんのこと

エッセイ

その売人は河ちゃんと呼ばれていた。金髪に染めた短い髪をツンと立たせ、ブルーハーツの曲をよく口ずさむことからおそらくはそのあだ名がついたのだと思う。河ちゃんはタクシードライバーでもあり、実際にそのタクシー内では常にブルーハーツ1001のバイオリンが響いていたものだ。売人でこそあったが、河ちゃんは一切ドラッグには手を出さなかった。しかし、妙なことに、タクシーを運転している最中、河ちゃんはよく独り言を呟いていた。まるで助手席に他人でも乗せているかのように、あるいは私に向かってその呟きが発せられているかのように、とてもリアルな呟きだったのだ。私がその呟きに向かって訊き返すと、一旦独り言は止むが、またすぐに呟きは始まる。私は後日その呟きの真意を知るまで、河ちゃんに向かって独り言の真相を訊ねたことはなかった。

私と河ちゃんが出会ったのは横浜市中区にある歓楽街、福富町の外れ、ほとんど桜木町に近い場所だったと思う。95年、プロディジーがザ・ファット・オブ・ザ・ランドをリリースする前年、オアシスがサム・マイト・セイをリリースした年だ。当時、そこに中国人パブがあった。友人である中国人女性の海晴がマッサージと飲み屋の呼び込みをしていて、私はその夜、海晴の執拗な懇願に根負けし、一時間だけという約束でその中国人パブで飲んだのだった。その中国人パブ内で河ちゃんはおおいに暴れたものだった。店内の中国人女性たちは河ちゃんのあまりの傍若無人さに呆れ果て、ママ以外の中国人女性たちは皆帰ってしまった。当然店内に客もおらず、いるのは壁に向かって延々とグラスを投げつける河ちゃんと、広東語でどこかに電話をかけているママだけだった。私はなぜか帰らずにドアにもたれて海晴と一緒に店内を眺めていた。やがて、ママが連絡したのだろう、大柄な体格の中国人男がやってきて、河ちゃんのみぞおちを一発殴り、河ちゃんは呆気なく倒れ込んでしまった。その中国人男はジャッキーと呼ばれていた河ちゃんのお得意様だったが、その後の付き合いからしても河ちゃんがその夜の出来事を憶えているということはなかったはずだ。海晴が「私は店内を掃除する、あなたは河ちゃんを助けてあげて」と声を発するまで、私はぼけえっとまるで映画のスクリーンでも観ているかのようにその一連の出来事を見ていた。そして、海晴の声で我に返り、河ちゃんの両足を持って引きずりながら店内から連れ出したのだった。

中国人パブの前の街路に河ちゃんを連れ出したのは良いものの、いつまで経っても一向に目を覚まさないから、私は手持ち無沙汰だった。晩秋の浜風が酔に火照った頬に気持ちの良い夜だったことが救いだった。河ちゃんはこの界隈では有名人だったらしく、様々な人たちが「お、今日もまたジャッキーか」と声をかけて行った。つまり、河ちゃんが暴れてジャッキーがそれをおさめるというのはある意味お決まりのパターンらしかった。私は目を覚まさない河ちゃんの隣に座り込み、夜の街路を行き交う人々をただ呆然と眺めていた。やがて、海晴が店内から水を持って出て来た。始めのうち、海晴は河ちゃんの半ば開いた口元に水を注いでいたが、河ちゃんが一向にそれを飲み込まないものだから、「もう!」と水を一気に顔にぶっかけてしまった。まるでコントのような話だが、河ちゃんはそこで目を覚ましたのだった。目を開いたまま寝転がっている河ちゃんを、私と海晴はしばらくじっと見ていた。おもむろに起き上がった河ちゃんが発した第一声は「わしのタクシーで山下公園へ行こうや」だった。海晴は「河ちゃん、無理無理」と手を振っていたが、私はなんだか面白く、あるひとつの試みをしてみた。「河ちゃん、俺にクスリを売ってよ」という私の声に河ちゃんは「あんたと出会ったん初めてやけん無理や」と応えたのだった。私はその言葉で河ちゃんを信頼することにした。「よし、山下公園行こう」と海晴の手を引っ張り、そそくさと歩き始めた河ちゃんの後を私たちは追った。

タクシーはすぐ近くのパーキングエリアに置いてあった。さっきまで酔っ払って店内で暴れていた男が運転する車になんて普通乗らない。多分、私は先程のやり取りで河ちゃんを信頼したことと、上京してからまだ一年も経っていなかったことから何か刺激のようなものを求めていたのだと思う。海晴と一緒に後部座席に乗り込むと、河ちゃんはすぐにタクシーを転がし始めた。あれだけ酔っ払っていたにも関わらず、運転はたいしたものだった。クラッチの踏み込みやギアチェンジ、ハンドルさばき等は全くブレがなく、スピードを出し過ぎるということもなかった。車内にはおそらくオートリピートなのだろうブルーハーツ1001のバイオリンが延々と鳴っていた。関内駅を通り過ぎるとき、河ちゃんが何かを呟いたのが聞こえた。日本大通りに出るとその呟きが断続的に聞こえるようになった。私はてっきり酔っ払っているからだろうと放っておいたが、海晴がその呟きに相槌を打っていた。「河ちゃん、そうそう」、「分かるよ」等。しかし、この会話はどこか変だった。よく聞いているとこの会話は河ちゃんの一方的な独り言であり、海晴の言葉に河ちゃんは一切応えていないのだった。まるで海晴の言葉なんて何も聞こえてはいないかのように。そんな違和感を抱きながら私は二人の会話を聞いていた。程なくして、タクシーは山下公園へ着き、我々はタクシーの窓を全開にして、夜が明けるまで無言で海を見ていた。やがて、海晴の寝息と、河ちゃんのいびきが聞こえてくると、私はタクシーを降り、大桟橋に座り込んだ。すっかり夜が明けて河ちゃんの呼びかけが聞こえてくるまで、ずっと私はそこで横浜の海を一人で見ていた。

その後、飲みに行く先々で、私は河ちゃんの暴れっぷりを目撃することになる。そして、河ちゃんにとどめを刺すのはいつもジャッキーで、介抱するのはいつも私と海晴だった。河ちゃんは気分次第では横浜のあちこちへドライブに連れて行ってくれた。河ちゃんの方言がいったいどこの方言か分からなかったから一度訊ねたことがある。河ちゃんは「広島じゃ」とぶっきらぼうに言ったきり黙り込んでしまった。そして、またあの海晴との奇妙な会話が始まるのだった。あるとき、河ちゃんは「わし、頭んなかでようけ声がするんじゃ」と言い始めた。「自分でもよう分からんけど、わしがあちこち色んなとこにおるんじゃ、そこに色んなわけ分からん人間が話しかけてきよる、全部相手しとったら頭おかしくなるで」と。「それは幻聴みたいなもの?」と私は初めて訊ねた。河ちゃんは「よう分からん、そんな難しい言葉知らんし」と応えた。海晴が「ゲンチョウって何?」と私に訊ねてきた。私は携帯電話を取り出して「幻聴」と文字を打った。それを見ると海晴は「でも、私、河ちゃんと話している」と呟いた。確かに傍目には海晴は河ちゃんと会話をしていた。私はわけが分からなくなり始めたから、河ちゃんにそれ以上訊ねることはせず、「河ちゃん、車を走らせてよ」と重苦しい空気の中、言葉を発した。「よっしゃ、江ノ島でも行くか」と河ちゃんは応えて車を走らせ始めた。途中の車中では相変わらず海晴と河ちゃんの奇妙な会話が聞こえたけれども、私は95年に新たに友人となったこの奇妙なタクシードライバー、あるいは、売人のことを、とても面白く、そして、誇りに思いつつ、流れていく夜景を見つめ続けていた。

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