【書評】前川麻子/パレット

 前川麻子という作家は不思議な作家だ。人類が誕生して以来、多くの人間が考え続けてきた男女関係という摩訶不思議な関係を、時には淫靡な、時には淡々とした官能小説という形で私たちに提示する。その官能小説群は驚くほど淫らだが、単純にポルノとして読むわけにはいかない奥行きを持っている。官能小説の形態を借りながら、実は男女関係の機微を巧みに描いてみせる。その一方で、『ブルーハーツ』や『パレット』に代表されるように、少年少女の思春期や青春の葛藤やもどかしさを切り取った、爽やかな青春小説を軽いタッチで描いてみせる。一時期、熱心に前川麻子を読んでみて、その両刀使いに感心したものだ。

 ここで取り上げる『パレット』は、一色尚美と水原絵麻という十四歳の美少女二人が、渋谷という街を舞台に、その中学校生活の中で葛藤したり、喜んだり、意気消沈したりする極当たり前の生活の一頁を切り取った小説だ。私は過去に二度ほどこの小説を読み、前川麻子の作品群の中で最も気に入った小説である。おそらく、それは本州西端の僻地で少年から青年になった私の憧憬のようなものだろう。この小説を読んでいると、十四歳の私が如何に青臭く、無知で、「本物」から遠く隔てられていたかが鮮明になる。そして、遠い記憶である十四歳の頃の恋心を思いっ切りくすぐられるのだ。この文章を書くにあたって、確認するためにもう一度通読してみた。そして、センチメンタルを遠ざけるため、少し間を置いた。男は感傷に弱いのだ。

 一色尚美(以下、尚美)は父母公認のもとで三十歳のワタルと付き合っている。既に性行為も終えていて、処女ではない。しかしながら、容姿、頭脳明晰さ共に一枚上手だと尚美が思い込んでいる親友、水原絵麻(以下、絵麻)にはどこか頭が上がらない。実際、文中で絵麻が尚美に提言するアドバイスは的確で、しばしば尚美は絵麻にアドバイスを乞う。尚美も日本人形のような美人だが、絵麻はその上をいくほどの美人で(まるでフランス人形のような)頭も良く、クラスの誰もが一目置く美少女だ。しかし、尚美は非処女だが、絵麻は処女である。この違いは大きいが、それは後述しよう。ワタルという三十歳のサラリーマンと付き合っている尚美は、葛藤しながらもその恋愛に満足している。様々な場面でワタルを思い出し、ワタルに恋焦がれる。しかし、ある事件をきっかけに尚美のワタルに対する思いは一気に激変する。ジャンボと呼ばれている性に関しては早熟だが、知性は幼いままのクラスメートが、ある日、レイプされたと問題になる。そして、その犯人は尚美の恋人であるワタルだという。この騒動はジャンボの嘘偽りということで落着するが、尚美のワタルに対する恋心はこの事件で終わってしまう。ある日、渋谷駅のハチ公前でワタルと待ち合わせしているときに、尚美は行動に出る。ハチ公前で尚美を見つけたワタルと目が合った瞬間、尚美は走って逃げるのだ。二人の歳の差恋愛はそこであっけなく終わる。「あたし、おじさん、捨てて来ちゃった」という尚美の言葉が印象的だ。

 この小説にはワタルの視点からの章もあり、そこでは若干十四歳の尚美と付き合うワタルの恋心が淡々と綴られている。しかしながら、おそらく、この章がこの小説では最も重要なのだ。ワタルは尚美を虹色の水たまりに喩え、その中へ足を突っ込もうとするが、もしそれが鏡で割れては困ると、その行為を止める。そして、自分がどれほど尚美に焦がれているかを確認するのだが、果たして尚美が三十歳である自分を恋焦がれるようなことがあるだろうかと自問自答する。そう、この奇妙な恋愛関係は始めからすれ違っていたのだ。その心の動きは文中で緻密に描かれている。

 尚美がワタルと別れた同じ時期に、絵麻は幼なじみの伊原という青年をボーイフレンドと認定する。この伊原という青年は幼稚園の頃から一途に絵麻を追いかけ続けてきた青年で、絵麻は嫌いではないものの、特に恋愛関係にはならずに中学生まで過ごしてきた。しかし、バレンタインの日、尚美から見てやや挙動不審な絵麻は、伊原にバレンタインのプレゼントをすることを決め、そこから健全な恋愛がスタートする。やがて、クリスマスの時期になり、絵麻はその日、自分自身を伊原にプレゼントすることを決意し、尚美は薬局でコンドームを買い、それを包装してもらって絵麻へのプレゼントとした。文中では書かれていないが、きっと絵麻と伊原は素敵なクリスマスプレゼントを贈り合ったのだろう。

 端折りながらも、ざっと、あらすじを書いてきた。各章ごとに様々な視点のある小説だが、私が読んだ限りでは、この小説の主人公は大雑把にみて尚美である。当然、絵麻も主人公ではあるが、先述したように、尚美は非処女であり、絵麻は処女である。この年頃におけるその差は大きいだろう。確かに、絵麻は尚美から見ても美人で頭も良い。そして、尚美の望み通り常に的確なアドバイスを与えてくれる。しかし、この小説全体を通して、絵麻はどこか淋しげだ。それは言葉として表現されてはいないけれども、どこか淋しげなのだ。それはクリスマスの日、尚美と絵麻の会話で少しだけ仄めかされる。尚美はその日、絵麻の言葉がことごとく癪に障る。そしてついに絵麻に反論するのだ。「エマチンが思ってるほど、皆馬鹿じゃないと思うよ」と。その尚美の言葉を聞いて絵麻は淋しげに俯く。尚美はこの言葉を発したことを後悔するが、しかし、この言葉は正しくもあり、間違ってもいる。十四歳という微妙な年齢においては、言い換えれば、若さというのは馬鹿の証でもあり、同時に馬鹿ではない証でもある。馬鹿だから白紙であり、馬鹿ではないから学び考えるのだ。謂わば、若さというのは白紙の画用紙だ。そこに色とりどりの景色が描かれていく可能性としての画用紙だ。そして、そこに自分の好きな色を塗って行けばいい。あるいは、好き勝手に他人に色をつけて貰えばいい。あの日、ワタルが水たまりの中に見た虹色のパレットを持ってして。

 

パレット (光文社文庫)

パレット (光文社文庫)