【エッセー】長崎原爆の日、キリスト教のアンチノミー

 私の故郷、山口県周南市(旧徳山市)では、8月6日の午前8時15分と8月9日の午前11時02分にサイレンが鳴り響く。これがいつ始まったのかは知らないし、他の市町村で同じようにサイレンが鳴り響くのかどうかも知らない。それでも、私はものごころついたときには、8月に二度鳴り響くサイレンを当然のこととして聞いて育ってきたような気がする。子供の時分に、広島市平和祈念公園、及び、平和記念資料館へ二度ほど、長崎市平和公園原爆資料館へ一度、両親に連れて行ってもらったことがあるから、このサイレンを聞く度に、両資料館で見たモノクロ写真や遺品などが脳裏をかすめ、頭が混乱してしまうこともしばしばあった。

 こうして文章を書きながら少年時代を回顧してみると、8月6日は早朝のラジオ体操の後で、家族と朝ごはんを食べながらサイレンを聞いていたし、8月9日はお昼ごはんの前に、どこかの公園で友達とキャッチボールなどをしながらサイレンを聞いていた。山口県岩国市にアメリ海兵隊航空基地があるため、8月9日は上空を通過する航空機の金属的な音とサイレンを、しばしば重ね合わせていたように思う。それは80年代のことで、今振り返ると、その時期はアメリカとソヴィエト連邦の冷戦時代であり、テレビでは第三次世界大戦、つまり、核戦争を話題にした番組がよく映し出されていた記憶もある。更に、ハルマゲドンや終末思想も盛んに囁かれていて、確か、私の家にも誰かが書いたカルト的な「ノストラダムスの大予言」の本が置いてあったはずだ。

 私は聖書には疎いから、ハルマゲドンWikipediaで調べてみると、

アブラハムの宗教における、世界の終末における最終的な決戦の地を表す言葉のカタカナ音写。ヘブライ語で「メギドの丘」を意味すると考えられている。世界の終末的な善と悪の戦争や世界の破滅そのものを指す言葉である。(戦争を終わらせる最後の戦争。一説では大艱難の頂点がハルマゲドンとも言われている)

とある。そして、キリスト教の聖書では、ヨハネの黙示録16章でハルマゲドンについて言及されているらしい(Wikipedia参照)。

尾山令仁は、悪霊の支配下にある地上の支配者たちとの軍勢と、主の軍勢との戦いであるので、この世のいかなる戦争とも異なる戦いであり、メギドの丘で行われるわけではなく、悪とその勢力が滅ぼされるキリスト勝利の戦いであるとする。

ともWikipediaには書かれている。

 言うまでもなく、現代的に考えれば、世界最終戦争とは核戦争ということになる。そして、日本が戦った第二次世界大戦とは、ある意味においては、世界最終戦争、つまり、核戦争だった。アメリカは日本に二度核兵器を使用し、長崎市への投下では長崎市の中心部ではなく、浦上地区、旧浦上天主堂のほぼ上空で原子爆弾は炸裂した。1945年8月9日の午前11時02分、旧浦上天主堂ではキリスト教徒による告解の最中であったらしい。そこに、キリスト教徒である、アメリカ人が原子爆弾を投下したのだ。私は先に引用した尾山令仁の著書を読んでいないから、ここで尾山令仁を批判することはできない。しかしながら、アメリカによる旧浦上天主堂上空への原子爆弾投下はアンチノミーに陥らざるをえない。いったい、世界最終戦争に勝利したのは本当にキリスト教徒だったのだろうか。思い切っていえば、私はアメリカによる長崎市(旧浦上天主堂上空)への原子爆弾投下のアンチノミーを含めて、絶対に使用してはならない最終カードを切ったという意味で、世界最終戦争に敗北したのはアメリカだと思っている。

 今年の長崎市での平和記念式典(長崎平和宣言はこちら)には、昨年に引き続きアメリカの駐日大使も参列するようだ。アメリカのオバマ大統領はプラハで行なった演説で、核兵器廃絶を明確な指針とした。そして、安倍晋三首相は、長崎市での平和記念式典あいさつには「非核三原則」に言及することを明言している。私はそれらは素晴らしいことだと思っている。しかしながら、私たちが忘れてはならないのは、鹿児島県の川内原発再稼働の時期が迫っていることではないだろうか。核兵器のない世界を目指しながら、核兵器に転用できる原発を推進する政策、謂わば、この二枚舌はどう説明できるのだろう。唯一の核兵器被爆国であり、ある意味においては、世界最終戦争に勝利した国だからこそ、今、私はどこか歯がゆい思いを抱き続けている。