【エッセー】真夜中のプールと青春と自由であること

 村上龍の処女作、『限りなく透明に近いブルー』の中に、主人公である僕とリリーがラリった状態で、雷雨の中のトマト畑を這いつくばるシーンがある。二人はラリっているため、トマトを爆弾だと言い張ったり、トマト畑を海と錯覚したりする。このシーンは、ドラッグによる錯乱を表現しているが、錯乱状態ゆえに、主人公の僕はプールに飛び込むことができない。リリーの発した、「あなた、死んでしまうわよ」という言葉が示唆するように、この小説は、ある一線を越えることができなかったがゆえに、小説として成立することができるのだ。後に、村上龍自身が語っているように、小説とは、ぎりぎりのある一線を越えることができなかった人間が書くのだろう。本物のジャンキーは小説を書かない。

 ふと、思い出して、このシーンのページを捲ったところ、『村上龍映画小説集』の中で、主人公と友人が、大江健三郎の短編小説に出てくる死体洗いのバイトについて話しているシーンを思い出し、そこから、そういえば、昔、十七歳くらいでバイトをしたとき、バイト先の飲食店に、昔は動物の屠殺や死体洗いの仕事をしていたという高齢の男性がいたのを思い出した。その飲食店には、年上でブラジル帰りの綺麗な女性がいたこと、高齢の男性を交えて、一度だけ、ステーキかハンバーグを三人で一緒に食べたこと、いつの間にか、その女性は消えてしまい、やがて、私もそのバイトを辞めたこと、そして、彼らの名前も顔も今は思い出せないこと、等々を、今、思い出していた。このように連想にはキリがなく、私は昔から連想というのが癖になっている。多分、余計な記憶力が良すぎるのだと思うが、肝心なことは忘れているから、太刀が悪い。今の記憶に照らしてみれば、本当に覚えておくべきことは、彼らの顔と名前なのだ。情景とそれを見ていた自分自身の感情だけを覚えているというのは、まるで、映画を観た後の記憶に似ている。多分、私はものすごく現実感覚に欠けた青年だったのだろう。それは、今の自分と繋がっていて、四十歳という年でやっと自覚した次第である。

 話を少し戻すと、『村上龍映画小説集』で、死体洗いのバイトについて話している二人は、結局、サウナ清掃の仕事にありつく。しかしながら、主人公は、仕事中にサウナに入り、シャワーを浴び、ドライヤーで髪を乾かし、まるで、客のようにリラックスしてサウナ施設を利用してしまう。それが、雇い主にバレて、主人公は、当然、クビになる。この「やってられねえぜ」という、肉体労働への忌避感が面白可笑しく、小説家である「私」の立場から綴られている。

 この『村上龍映画小説集』は何度繰り返し読んだか分からない。なぜ、この短編小説集が好きなのか、少し考えてみると、多分、夜明け前の空や、繁華街の朝六時が好きだとか、真夜中のヘッドライトの連なりと、点滅する信号、影のような歩行者、そんなものが好きなのと同じような気もする。要するに、どっちともつかない、中途半端なものが好きなのだ。それは、片岡義男の『スローなブギにしてくれ』や、中上健次の『18歳、海へ』にも繋がってくる。モラトリアムというわけではないが、誰もが若さを持て余す、あの時間だ。

 青春という言葉は、ある一定の猶予期間に若さを暴発させて、その後、大人になった彼は、青春を卒業していくというもので、大人の彼はどこかに属していく。どこかに属すことが大人だと多くの人間が信じていた時代、それは過ぎ去ったのかもしれない。九十年代半ば以降、多くの若者たちは何の逡巡もなく、派遣労働を選択した。派遣労働者というのは、グローバルな経済下で、企業がより安い労働力を確保するための、謂わば、自国内移民である。派遣労働を選択した多くの若者たちは、その後、派遣労働を渡り歩くことになる。もし、大人になるということが、どこかに属すことと同義であれば、九十年代以降、大人になるためのステップ、青春という言葉も消えたことだろう。一生青春という言葉は好きではない。年を取れば、その分だけ、人間は狡く姑息になっていき、青臭さとは無縁になる。それに気づかずに、あるいは、それを知りながら、一生青春などと口にしている大人は、ただの馬鹿だ。純粋な心などあるのかしらないが、社会では、狡く姑息な心も持ち合わせていないと、生き抜いていくことができない。今の若いひとたちの多くは、それを知っているだろう。九十年代半ば以降の、自国内移民先駆者たちが、ある意味、ピュア過ぎたのとは対照的に。

 二十歳の真夏に、友人二人と真夜中の小学校にあるプールの鉄柵を乗り越えて、真っ裸でプールに飛び込んだことがある。街灯があったのかは忘れてしまったが、薄い光が、見えるか見えないかわからないほど微かに、私たちを照射していた。夜警に気づかれてはまずいため、大きな声は出せない。他の二人がどこに浮いているのかは、時々、発せられる小さな声で確認できた。彼らが何を考えていたのかは分からない。私は、新しく入った大学で出会った女の子のことや、それまで長く暮らした故郷のこと、今後の自分がどうなっていくのか、等々を考えていたはずだったが、東京の夜空にまるで電球が外れたプラネタリウムのように浮かんでいる小さな星々と、それとは対照的に、大きくまんまると浮かんでいる月を見ていると、考えごとなどどこか遠くへ消えてしまった。

 私はただ単にプールの水面に浮かんでいた。子供の頃、海水浴場で浅瀬から沖合いに向けてクロールで泳いでいたとき、足が海底に届かなくなり、ふと、砂浜を振り返ったときに見えた両親のことや、川遊びの最中に、ふいに、辺りの風景を自覚する瞬間、そんなふうに、ふと、私はプールの水面で、プールの中の水を掴んだのだった。そして、友人たちとタオルで身体を拭いて、着衣を身につけた後で、鉄柵を乗り越えて、とぼとぼと、真夜中の環状八号線沿いを歩いた。誰も何も喋らなかった。

 四十歳になった、今、このときのことを思い出していて、不思議なのは、私はそのとき自由だと感じていなかったことだ。大学に所属してはいたものの、たいして出席しておらず、部屋で読書ばかりしていた当時の私だが、おそらく、素で自由だったのだと思う。青春を回顧する歌は、そのほとんどが、自由とともに回顧される。社会に出てから身を持って知ったことだが、自由というのは、何らかの規則に囲まれている状況下でのみ実感しえる。仮に、無際限の自由に放り出されてみればいい。私たちには、知的な意味で、やるべきことなど一切ないだろう。私は青春という言葉はおろか、青春を回顧する歌も嫌いだ。そこには、大人になるまでの猶予期間、その期間だけ自由を満喫し、やがて、卒業し、大人になっていった人たちの、モラトリアムな青春像が透けて見える。一生青春は馬鹿だと先述した。自由はない。自由はないことを知りつつも、社会の中で悪戦苦闘しながら、自由を希求し続ける過程、その過程だけが、人間を自由に近づける。人間を自由にするわけではない。自由に近づけるだけだ。最近、よく、そんなことを考えている。

「ああ、美しい。今があたしの頂点みたい」

 杳子が細く澄んだ声でつぶやいた。――『杳子』古井由吉

 中途半端なものが好きだ、と先述した。言い換えたい。私は境界でありたいのだ。