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【書評】「飛び降り」「幽霊」――『セックスの哀しみ』より/バリー・ユアグロー

書評

はじめに

 超短編の名手、バリー・ユアグローの著書に『セックスの哀しみ』という超短編集がある。セックスに纏わる人間の悲哀を、ときには直截的に、ときには隠喩的に、ユーモラスに描いてみせる、そんな超短編集だ。その本の中に、「飛び降り」と「幽霊」という二つの超短編がある。題名から「死」を連想させるが、バリー・ユアグローは「死」をモチーフにした超短編も多いし、「死」を探求してきた小説家だといってもいい。ユーモアとは静謐さと若干の秘密を必要とする。「死」は、人間にとってもっとも静謐で、秘密めいている。

「飛び降り」と「幽霊」あらすじ

 超短編小説「飛び降り」は、飛行中の飛行機内のドアが開き、まるで、パーティーの余興のように、ドレス姿の女たちが主人公の男にキスをしたのち、次々と飛行機から飛び降りていく。ドレスが猛烈な風になびき、空中を滑走する女たちは、皆、楽しそうな顔をしている。主人公の男はそれを機内から覗き込むように見ている。

 やがて、主人公の男が飛び降りる番になるが、男は壁にしがみついて震えている。その間にも、ドレス姿の女たちは男を誘惑しながら、それが日常の延長であるかのように、次々と飛び降りていく。しかし、男は怖くて飛び降りることができない。

 そんなとき、主人公の男にこう囁く女が現れる。「わたしもあなたと同じで怖いのよ」と。同類の発見で、二人はヒステリックな笑い声をあげる。次々と飛行機からドレス姿の女たちが飛び降りていくのを横目に。二人の臆病者は、激情、狂乱とともに抱き合う。しかしながら、二人は互いに服を脱がすことができない。

「幽霊」という超短編小説は、世の中との接触を断った男が、人里離れた海辺の砂浜で、原始的な隠遁生活を送っている場面から始まる。男は日々、波の音を心象風景として聞いている。ある日、男の小屋前に、女の子の溺死体があがる。男は若い女の子の死体に呆然とした後、小屋を去って別の場所に移居する。

 男は夜になると、闇の中で大波を見つめる。夢の中、あるいは、夢想中に、男は溺れ死んだ若い女の子に憑依される。男は「わからないのか、僕は一人にしてほしいんだ、他人と一緒にはいられないんだよ」と、女の子の幽霊に向けていうが、それが声として出てこない。

 男は女の子の幽霊に憑かれていることを、幽霊が何かを伝達しに来たのだと判断する。そして、女の子の幽霊の背後で、波が打ち寄せる静かな描写で小説は終わる。

死のイメージとユーモア

 このふたつの超短編小説を取り上げたのは、端的に、「死」のモチーフが分かりやすいからである。「飛び降り」は読んで字のごとく、飛び降りる。飛行中の飛行機から、ドレス姿の女たちが次々と笑顔で飛び降りていくという、どこかシュールな情景は、もちろん、死のイメージに繋がるが、主人公の男は、女たちの誘惑=死の誘惑を受けながらも飛び降りることができない。

 ここでは、セックスの予感が生の換喩として、飛び降り=死の誘惑に対置してある。しかしながら、限りなく生に近い場所に立っている男と女、つまり、死の誘惑から逃げながら、生にしがみついた男と女は、互いの服を脱がすことができず、生としての、セックスの予感だけが、依然、漂ったままだ。

 一方、「幽霊」では、世の中との接触を断って砂浜で隠遁生活を送る男は、常に、波と対峙している。私たちは、ついつい、溺死体の若い女の子に死のイメージを読んでしまいがちだが、ここにおける死のイメージは波である。若い女の子の溺死体、つまり、幽霊は、伝達者として機能している。そして、バリー・ユアグローの若い女の子の溺死体の描写は、この超短編小説全体を奇妙なエロティシズムで覆っている。しかし、このエロティシズムはセックスとは結びつかない。バタイユのいう「死の不安」といった方が良いだろうか。

 男に若い女の子の幽霊がとり憑き、最後の場面で、幽霊の背後に打ち寄せる波の描写がある。この波の描写の美しさとは対照的に、ここには死のイメージが描かれている。もちろん、幽霊もまた死のイメージだが、幽霊というのは既に一度死んでいる。そして、幽霊であるためには、死の世界と現実を往来しなければならない。死のイメージとしての打ち寄せる波を背景に描かれた幽霊は、溺死体のその空洞のような目と同様、透きとおっている。つまり、それは死への入り口なのだ。

 バリー・ユアグローのこのふたつの超短編小説では、それぞれの主人公の男は、死のイメージに翻弄されながらも、限りなく生に近い場所で、生そのものを掴みきれずにいる。そして、死ぬこともできずに、セックスの予感の中に、死のイメージだけが漂流している。二人の主人公の男たちは、セックスの予感としての生を掴み損ねて、死のイメージに、ただ怯える。死のイメージが漂う中で、セックスの予感を掴み損ねる、あるいは、セックスがそこにあることを知りながら、それを見て見ぬふりをする。おそらく、そこに、バリー・ユアグロー特有のユーモアがあるのだと思う。当然、死のイメージは装飾などではなく、バリー・ユアグロー自身の実存的で切実なモチーフだろう。そして、このふたつの超短編小説の主人公の男たちが立っている場所は、すぐそばで、死が誘惑している真横にある生なのだ。このぎりぎりの生の場所(あるいは、死のそば)、つまり、危うい境界に主人公が立っていることも、「飛び降り」と「幽霊」を、バリー・ユアグロー流の優れた超短編小説にしているのではないだろうか。

友よ、我々のうち最高の賢者とは、男を狂気に追いやり瘋癲院に送り込みかねぬ女ーー美しくあれ醜くあれ、聡明であれ愚鈍であれーーに出会わずに済んでいる幸運な者のことなのだ。――ドニ・ディドロ「これは物語ではない」

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