【音楽】中島みゆき/時刻表

 中島みゆきの楽曲群の中に、ひっそりと佇んでいる名曲がある。「時刻表」という曲だ。中島みゆきの歌声もどこか淋しげではあるが、ありふれた人間像を歌いながら、自身もまたありふれた人間のようである歌い手の絶望的な淋しさが木霊するような曲である。サビの部分で唐突に「海」という言葉が出てくる。絶望的な淋しさを示唆した後に歌われる「海」は、ある意味では、自殺という行為の外示として解釈することもできる。曲は歌い手が時刻表を見上げて、次の朝まで海へ行くのか行かないのか(あるいは、行ったのか行かなかったのか)、結末を曖昧にしたまま終わる。

 私は初めて「時刻表」を聴いたとき、この曲は、自殺の曲だなと思った。それは、夜のプラットフォーム上で、群衆の流れから逸脱し、海へ行くために、ひとりぽつんと時刻表を見上げる青年をイメージしたからだが、普遍的な意味で、絶望に「海」はよく似合う。選択の連続である「山」が迷宮の外示であるのと対照的に、「海」は揺り籠のように波の絶え間を漂っていればいいのだから。母なる「海」では、生物群からの逸脱はなく、絶望的な淋しさは癒えるだろう。自己の生命からの逸脱の予感、あるのはそれだけだ。 

時刻表
作詞/作曲 中島みゆき

 

街頭インタビューに答えて 私やさしい人が好きよと
やさしくなれない女たちは答える
話しかけた若い司会者は またかとどこかで思いながら
ぞんざいに次の歩行者をつかまえる
街角にたたずむポルノショーの看板持ちは爪を見る

 

昨日9時30分に そこの交差点を渡ってた
男のアリバイを証明できるかい
あんなに目立ってた酔っぱらい 誰も顔は思い浮かばない
ただ そいつが迷惑だったことだけしか
たずね人の写真のポスターが 雨に打たれてゆれている

 

海を見たといっても テレビの中でだけ
今夜じゅうに行ってこれる海はどこだろう
人の流れの中で そっと時刻表を見上げる


満員電車で汗をかいて肩をぶつけてるサラリーマン
ため息をつくなら 他でついてくれ
君の落としたため息なのか 僕がついたため息だったか
誰も電車の中 わからなくなるから
ほんの短い停電のように 淋しさが伝染する

 

誰が悪いのかを言いあてて どうすればいいかを書きたてて
評論家やカウンセラーは米を買う
迷える子羊は彼らほど賢い者はいないと思う
あとをついてさえ行けば なんとかなると思う
見えることとそれができることは 別ものだよと米を買う

 

田舎からの手紙は 文字がまた細くなった
今夜じゅうに行ってこれる海はどこだろう
人の流れの中で そっと時刻表を見上げる
人の流れの中で そっと時刻表を見上げる

時刻表

時刻表