【書評】早川タダノリ著 /「日本スゴイ」のディストピア――戦時下自画自賛の系譜

嫌韓本と日本礼賛本の氾濫】

 嫌韓愛国心高揚を掲げた日本を自画自賛する新書等が、本屋の目立つ場所に平積みされ始めたのはいつ頃からだろうか。現政権を担う内閣総理大臣安倍晋三首相が「美しい日本」、「一億総活躍社会」等、きな臭い言葉を使い始めたことは、おそらく、嫌韓本や日本礼賛本の氾濫の結果だと思われる。安倍晋三首相をあげつらうのならば、むしろ、「アベノミクス」という経済的な造語を揶揄するべきかもしれない。実際、マイノリティ排斥と自国礼賛は、経済的な問題に起因するからだ。

 経済的に凋落し始めた国家は革新なき保守に向かい、閉塞的で自国礼賛的言説によって、現実から逃避し始める傾向があることは歴史が証明している。もちろん、自国礼賛、つまり、ナショナリズムの高揚とはナルシシズムの慰撫とも関連しているだろう。

 早川タダノリ著『「日本スゴイ」のディストピア―戦時下自画自賛の系譜』は、昭和のはじまりから大東亜戦争敗戦までの間に出版された日本礼賛本、それも皇国史観を背景にした大東亜戦時下の「トンデモなく日本スゴイ本」が、丹念な資料蒐集によって集約された本である。思わず笑ってしまいそうになるくだらない「トンデモ本」から(実際には笑えないのだが)、天皇を頂点とした国体下での臣民のあるべき姿を大真面目に論じた「トンデモ本」まで、約五十冊の「トンデモなく日本スゴイ本」が夥しい参考文献とともに紹介されている。それらすべてをここで列挙することはできないが、私がこの本の中で特に目についた箇所は、著者自身も本書で述べているように、現代の日本において尚残存しているものも多い。

 【『「日本スゴイ」のディストピア』からの一部抜粋】

『「日本スゴイ」のディストピア』で紹介されている「日本スゴイ本」の多くは、基本的に、中国大陸侵略と英米との全面戦争としての大東亜戦時下国家総動員体制によって統制された日本国民に「わたしたちは正しく、過酷な忍耐の後には輝かしき栄光が待っている」という、まったく根拠のない観念的希求を植え付ける意図に端を発しているように思われる。以下、数冊の「トンデモ本」と著者引用部分を挙げてみたい。

竹下直之『師魂と士魂』(聖紀書房一九四三年〔昭和十八年〕

——師たるものの魂、師魂はすなはち士たるものの魂、士魂に相通ずるものでなければならぬ。(略)まさにガダルカナルの転進について深く思ひを致すべきの時である。一万六千余柱といふ将兵の英霊を弔うて、引続く忠誠勇武な士をまもり育てることこそ、われらの聖戦である。(九ページ)

関西急行鉄道パンフレット「参宮の栞」(一九四二年〔昭和十七年〕四月)

——我が大日本帝国をしろしめし給ふ万世一系の天皇の御先祖、天照皇大御神をお祀りしてあるお杜で、三種の神器のうちの八咫御鏡をその御霊代として奉安してある事は皆さん既に御存じでせう。このお杜の尊さは申すも畏れ多い極みでありまして……。

原了『決戦下の青少年』(協和書房、一九四三年〔昭和十八年〕)

……「大東亜戦争」開始による戦時増産のかけ声のもと、軍需産業に対して労働力が重点的に配分され、徴用工をはじめとした工場労働者が男女問わず一挙に増大した。すでに二十歳代の男性労働者の多くが応召して出征しつつあったなかで、一九四三年(昭和十八年)に国民徴用令と総動員法が改正され、未熟練労働者が一気に増えたのである。(略)この一九四三年(昭和十八年)をピークに、若年労働者向けの自己啓発書が多数出版されるようになった。(略)ところがこれらの書籍は、コレ一冊読めばよい日本人=よい労働者になれることを目的として書かれていたために、〈皇国思想+勤労道徳+アメリカ・イギリス憎悪+日本スゴイ〉がワンセットになったきわめて濃厚な総力戦体制動員マニュアルになっているのだった。(『「日本スゴイ」のディストピア』から引用)

——君臣同祖 我が国では、皇室は国民総本家であらせられ、臣民はその分家である。かくて次ぎ次ぎに祖先を求めて歴史を遡れば、天皇も臣民も、共に同一祖先である天照大神に到達する。我が日本人はみな神の子孫で、神の血が我等の体内に流れてゐる。(二九ページ)

——日本に生れた喜び 我等はかかる立派な国に生れ、君臣一体となって、祖先伝来の皇国を護り、更に発展せしめようとしてゐる。何たる生き甲斐のあることであらう。(三五ページ)

——天業翼賛 日本人と生れた者は、それぞれの職務を通じて天皇陛下の御仕事の一部分を、お輔け申し上げてゐる。官吏は政治で、教育者は子弟教育で、実業家は国富増強で、商人は品物の売買で、農夫は食糧増産で、我等工員は生産増強で、みな大君の御為に働いているのである。(三七ページ)

波田春夫『日本的勤労観——産業報国運動の理論的基礎付けの試み』(〔「産報理論叢書」第一巻〕、大日本産業報国会、一九四二〔昭和十七年〕)

……「日本的勤労観」の確立を求める産業報国会中央からの要請(序言によれば一九四一年〔昭和十六年〕夏)に応えるかたちで、当時東京帝国大学経済学部助教授だった難波田春夫が書き下ろしたのがこの『日本的勤労観』だ。(略)一方で「ナチス的労働観」では、民族共同体を最高の理念とし、「経済は民族のために奉仕」するものでなくてはならず、資本と労働は相争うものだが、政治の力で統制して「その対立を止めて、生産増大に努力し、民族の手段としてみづからの利益を民族のために犠牲としなければならない」。難波田は「民族のためには資本や労働の私益が犠牲とならねばならぬことを、ナチスは「公益は私益に優先す」という言葉を以てあらはした」と記している。難波田によれば、経済の目的を民族共同体の実現という点においたナチス的労働観には格段の進歩が認められるが、しかしいずれも資本と労働との分離を前提としているかぎりで限界があるという。労働者は、労働者をやめることができても、民族の一員であることをやめることはできない。ナチスは資本と労働の対立を前提としながらも民族共同体の建設のためにその対立を超えるべきことを説くが、それでは不十分である。民族こそが経済の存在を根本的に規定するものであり、この認識に立つことによってはじめて、「自由主義的・マルクス主義的労働観」と「ナチス的労働観」を超えることができる――ということなのだそうだ。(『「日本スゴイ」のディストピア』から引用)

小島徳弥『働く女性の力』(国民教育会出版部、一九四二年〔昭和十七年〕)

——心の隙をつくるな 近頃は次第にさういふ馬鹿な男もすくなくなつたやうですが、一時よく電車の中などで、若い女性にいたづらをする男がありました。気の弱い女学生などは、そのために学校へ通ふのを厭がるやうなことさへあると聞いてゐました。神聖な大学の学生でありながら、又、立派な紳士の仮面を冠つて、さういふ下劣きはまるいたづらをする男子には、大いに反省を促さねばならないと思ひますが、また、一面、さういふいたづらをされる若い女性にも、それだけの手落がなかつたとはいへないでせうか。(略)如何に身動きのならぬ満員電車などの中であらうとも、そのやうないたづらをされるのは、やはり女性の方にもそれだけの隙があつて、その隙につけこまれたのだと思ひます。(二七ページ)

笠原正江『働く婦人の生活設計』(〔勤労青年文化叢書〕、東洋書館、一九四二年〔昭和十七年〕)

——誰でも「御国のために」といふことをよく口にはいたしますが、その「御国」とは一体どういふものでせう。「御国」とは「すめらみくに」のことであり、「すめらみくに」といひますのは、大変おそれ多い神秘さを持つてゐて、それは私たち民族の伝統的な血のみのよく理解する事がらで、なかなか言葉には尽せませんが、極くわかりやすく平たく申しますと、私たち、日本民族どほしがつくり合つてゐる「集団」です。この「集団」は高天原天照大御神から引きつづき御代々の天子様を中心に「日本民族」といふ血のつながつたものどほしでつくつてゐるものです。それは、天子様を頂点にいただいてピラミツド型に拡がつた大きい「家族」のことでもあります。そしてその頂点の天子様の大陵威と御統御とは、ピラミツドのどこの隅にもあまねく滲み透つてゐて、私たち一人一人の生命と力との真実の源となつています。(一八~一九ページ)

——もつとやさしくいひますと、例えばここに沢山の炭俵を積みあげたといたしませう。一番下が五俵、次が四俵、次が三俵、次が二俵、一番上が一俵で丁度ピラミツド型になりました。それは見たところ、いかにもどっしりしてゐますが、しかし、これを一俵でも引き抜きますと、そのあたりがぐさりと凹んで、わけなく型が崩れます。私たち日本民族の「集団」もまた同様です。(一九ページ)

——どれほど山が大きくても、その山は、一俵一俵の炭俵が重なり合つたものですから、どのやうな片隅が崩れても、直ぐ全体に影響して、すつかり山がゆがみます。山全体がゆがんでくると、おたがひに重なり合つて、その山をつくってゐる炭俵の一俵一俵も、そのままにはすみません。やはり山のゆがみにつれて、それ相応に型がくづれるわけです。ですから、「集団」の生活では、その「集団」が正しくなければ、その中にゐる一人一人も正しいものにはなれません。さうした意味から考へますと、「御国のために」働くことは、結局「自分のために」働くことにもなりませう。(一九~二〇ページ)

大串兎代夫『大東亜戦争の意義』(〔「教学叢書」第十二輯〕、文部省教学局、一九四二年〔昭和十七年〕)

——大東亜共栄圏の構想に於いては、かくのごとき個別国家の観念は許さるべきではなく、大東亜共栄圏に属する各国は、一種の運命共同体を形作り、かくのごとき共同体の運命を離脱して共栄圏以外の国家と結合するがごときは許さるべからざることである。(略)大東亜共栄圏に属する各国が主権を有することは、言うまでもないが、この主権は大東亜共栄圏全体から離れて個別的に存するものではなく、共々に大東亜共栄圏に属する各国は、兄弟の関係に於いて結びつけられるべく、大東亜の各国の結合関係の中には、家の観念が内在してゐることを指摘しなければならない。(二四ページ)

文部省教学局編『臣民の道』(文部省教学局、一九四一年〔昭和十六年〕)

——皇国臣民は国体の本義に徹することが第一の要件である。人は孤立せる個人でもなければ、普遍的な世界人でもなく、まさしく具体的な歴史人であり、国民である。従つて我等にあつては、人倫即ち人の履践すべき道は、抽象的な人道や観念的な規範ではなく、具体的な歴史の上に展開せられる皇国の道である。人たることは日本人たることであり、日本人たることは皇国の道に則とり臣民の道を行ずることである。即ち我等は、国体に基づく確固たる信念に生きることに於いて皇国臣民たり得る。(六一ページ。以下、内閣印刷局版による。)

——日常我等が私生活と呼ぶものも、畢竟これ臣民の道の実践であり、天業を翼賛し奉る臣民の営む業として公の意義を有するものである。(略)私生活を以つて国家に関係なく、自己の自由に属する部面であると見做し、私意を恣にするが如きことは許されないのである。一椀の食、一着の衣といえども単なる自己のみのものではなく、また遊ぶ閑、寝る間と雖も国を離れた私はなく、すべて国との繋がりにある。かくて我等は私生活の間にも天皇に帰一し国家に奉仕しするの念を忘れてはならぬ。(七一ページ)

——所謂勤人には官公吏・銀行員・会社員など種々の種類があるが、その勤務は何れも国家の仕事の一部であるとの自覚の下に、精励すべきことに於いて変わりはない。このことは官公署・学校等に於いてはもとより明瞭であるが、民間の会社・工場等にあつても国策の運営の即応せねばならぬことはいふまでもなく、従業員各自その勤務を通じて国運進展の職責を担つてゐるのである。凡そ勤務はすべて天皇に仕え奉るつとめの真心から出発しなければならぬ。利を追ひ、私欲の満足のみを追求するが如きを厳に戒め、全精神を打ち込んで自己の職務の精励しなければならぬ。昔はすべてのつとめを奉公といつた。婢僕のつとめも奉公、職人や商人の見習ひも奉公と呼んだ。奉公の精神が旺盛であれば、自我功利の心の起こることはなく、そこに初めて己を滅した真の奉公が成立するのである。(八七ページ)

【明治と昭和の平行性、そして平成】

 早川タダノリ著『「日本スゴイ」のディストピア』に列挙されている昭和のはじめから敗戦までの日本礼賛本出版の氾濫には、ある下地があったと思われる。自国礼賛が始まる契機として、私は経済的な行き詰まりがあると前述した。明治維新から始まった日本の近代化、及び、経済成長はめざましく、それは西洋を驚かせるほどで、実際に日本は日清、日露戦争で勝利し、第一次世界大戦では連合国側で参戦して領土割譲、更には大国の一員にまで登りつめている。それが、昭和に入ってからの世界的な経済的不況と西洋のブロック経済化、そして軍部の暴走から中国大陸侵略と英米との開戦、更なる経済状況の悪化を招くに至った。

 柄谷行人は明治と昭和の平行性について随所で述べている。やや長い文章だが、岩井克人との対談本『終わりなき世界』からその平行性についての箇所を引いてみよう。

……ぼくはその時明治と昭和が著しい平行性をもっているということを見つけたのです(14頁年表参照)。明治十年に一方に西南戦争があり、他方に昭和十一年に二・二六事件がある。しかもこれらは相互に連関している。西南戦争は、明治維新の徹底化であり、第二の明治維新とも言われているのですが、一方「昭和維新」を唱えた二・二六は明らかに西郷隆盛を担いでるわけですね。明治の場合、四十五年に乃木将軍が殉死しましたが、彼が死んだのは、西南戦争のときに軍旗を取られたからということですね。つまり彼も明治十年にかかわっているのです。夏目漱石は『こゝろ』のなかで「明治の精神」という言葉を言いましたが、それはいわゆる「明治人」とか「明治の時代精神」なのではなくて、いわば「明治十年」に象徴されるもののことです。昭和四十五年に三島由紀夫がやったのは、二・二六をファルス的に再現することだったわけですね。じつは、二・二六さえそうだった。「歴史は二度くりかえす、一度目は悲劇として、二度目はファルスとして」というマルクスの言葉を使えば。漱石によれば、乃木将軍の殉死でさえ当時アナクロニズムの極致として見られたわけですから、三島の切腹は、いわんや当然ですけどね。乃木の死によって漱石が「明治の精神」の終焉を語ったのだとしたら、われわれも三島の死に「昭和の精神」の終焉、したがって、「昭和の終焉」を見てもいいのではないか。漱石が乃木自身の思想になんら共感していないように、ぼくも三島の思想に共感していません。しかし、いろんな意味で「昭和的なもの」がここで決定的に終ったと言っていいと思うのです。たとえば、「明治的なもの」は、じつは明治天皇の死よりも、日露戦争(明治三十七年)で終っています。それ以後の日本は変質している。しかし、この変質を自覚しそれに抗議したのが、戦後に小説を書き始めた漱石だったのです。そして、それが明治時代の終焉とともに、ある悲劇的な表現をとったのが『こゝろ』であったと言っていいと思います。

 同様に、「昭和的なもの」というのが実質的に終ったのは一九六五年(昭和四十年)ではないか。それは東京オリンピックのあとであり、高度成長期のなかにおいてです。事実、われわれは慣用的に、「昭和三十年代」という言い方はしますが、めったに「昭和四十年代」という言い方はしません。「一九六〇年代」とか「一九七〇年代」という方が普通です。三島由紀夫は、一九六五年あたりから変質した日本に対して反撥していきます。それは、六十年代高度経済成長の結果としての学生運動のラディカリズムと通底しあうわけです。しかし、これらは一九七〇年において一つの頂点を迎えた。しかも、一九七〇年は、戦後的な世界構造においても頂点だったと言えると思います。翌年からは、オイル・ショックや為替自由化、米中接近などが相次いで起こった。アメリカのドルで支えられた自由主義経済とか、自由主義共産主義の冷戦構造といったものが、すでにこの時期に揺らぎ始めたからです。それが窮極的に一九八九年の事件に示されたにすぎない。その発端は一九七〇年にあるのです。

 日本はそれ以後オイル・ショックを切り抜けて、一方的に経済的に成長し、経済大国としてあらわれるようになります。これは、先の年表で言うと、日本の大正期に対応しています。この時期には、第一次大戦がありましたが、日本はたんに漁夫の利を得ただけで、ヨーロッパが体験したような深刻な問題をもたなかった。それはヴェトナム戦争の特需でもうけながら、アメリカがベトナム戦争によって体験した問題をなんら感じなかったのと同じです。一九七〇年代以降の日本は、大正時代と似て、外に開かれているように見えながら自閉的なのです。

 大正時代のコスモポリタニズムとはそういうものですね。そこには、他者としての西洋との質的差異への緊張がない。すべて同一なのだから。だからまた、西洋との「差異」が見いだされるんですね。日本の独自性みたいなことを言い出したり、「日本人論」が流行ったのはこの時代なんですよ。これはまた、アジアに対する意識についても言える。なにしろ、明治四十三年に朝鮮を併合しているわけですが、大正ヒューマニズムなんてものはそのことを忘れてしまっている。一口で言えば、開かれた自閉化というか、開かれた鎖国ですね。明治の知識人はだいたい、漱石もそうですけど、岡倉天心にしても、内村鑑三にしても、普遍的なものへの緊張をもっていた。彼らは特に日本ということを言っていない。「東洋」と言っているのです。だから日本主義はまったく出てこないわけです。それに対して、大正期になると、民俗学もそうなんですが、「南島」へ行くという感じでして、日本の内部の同一性に向かっていくわけですね。

 同様に、七十年以降の日本というのは、アジアに経済的に侵入しているにもかかわらず、言説においてはそれは存在していない。いっさい国際関係などないかのように存在している。無制限に開かれているように見えながら、実際は閉じられているわけです。天皇制に関しても同じことが言える。

 さっきの年表で言うと、昭和天皇は、「昭和四十五年」が終った後にも、十八年間生き続けたわけですね。一九七〇年以後は、ちょうど大正天皇のように目だたないゼロ記号としてあった。だから、この時期の天皇論も、人類学者によるものが支配的だった。天皇を、アフリカやオセアニアの王権と比較すればいいというような。しかし、もともと「天皇」は、中国の皇帝を意識した国際的な概念であり、そんな王権論では、奈良時代天皇制でさえわからない。明治以後はドイツ皇帝をモデルにしている。つまり、王権論が妥当するようにみえたのは、この時期日本が開かれた鎖国状態にあって、いわば孤立した「島」のようにあったからです。

 しかし、一九八五年以後はそうではない。天皇を問題にするようになったのは、外国であり、特にアジアです。と言うのは、さっきの年表の続きで言えば、一九八〇年後半はまさに「昭和」に戻ってしまったのです(笑)。彼は再び強国、経済的な侵略国家としての日本を「象徴」することになってしまった。もっと前に死んでいれば、昭和天皇の死はこれほどまでに国際的な関心を集めなかったでしょう。

 こうして、この年表からは、一九八九年の世界的事態が一九三〇年代にある意味で回帰しているということが言えるわけです。

 

明治10年 西南戦争      昭和11年 2・26事件

  22年 憲法公布        21年 新憲法公布

  27年 日清戦争        26年 講和会議・日米安保条約

  37年 日露戦争        35年 安保闘争・新安保条約

                  39年 東京オリンピック

  43年 韓国併合大逆事件   43年 全共闘運動

  44年 条約改正        44年 沖縄返還

  45年 乃木将軍殉死      45年 三島由紀夫自決

【『「日本スゴイ」のディストピア』が今書かれる事由】

 柄谷行人が各書で述べている明治と昭和の平行性をここで考察することはしないが、明治と昭和に「平成」を加えると、また一味違ったものになってくる気がする。明治と昭和、そして平成にも平行性があるのかどうかはわからないが、近年、再度氾濫している日本礼賛本にも、昭和の日本礼賛本と同じく下地があることは確かだろう。

 柄谷がいう一九八五年以後を考慮するまでもなく、戦後復興から高度経済成長を成し遂げた日本は、「世界一成功した社会主義国」、「日本株式会社」などと半ば揶揄されつつも、いまや死語になった終身雇用や勤勉さを欧米各国から賞賛された。その後、バブル経済で有頂天になった日本は、九〇年代以後、経済的に凋落していく。

……二〇十五年十月、安倍晋三首相の私的懇談会「「日本の美」総合プロジェクト懇談会」が設置された。「日本人の美意識や、自然への畏怖、礼節、忍耐といった日本人の価値観が表出した日本の文化芸術」の振興や継承、国内外へのアピールのために設置されたものだという。座長を務める俳優の津川雅彦は、第二回会合で次のように述べている。

——我々が自然を愛する心を持った多神教であること、そして、一万年以上前から今日に至るまで自然崇拝というアニミズムを続けてきた世界で唯一の国であることに起因している。今こそ、日本という国の持つ不思議とともに、奥深き日本の美を世界に提示するべき。それも、無邪気かつ狡猾な方法で提示する必要がある。異物の混在を許容する日本固有の価値観は、多様性に富む文化であるが故に、世界の平和に貢献できるはず。(「日本の美」総合プロジェクト懇談会第二回〔二〇十五年十二月十八日〕議事要旨。首相官邸公式ウェブサイトで公開されている)

——映画や映像は、日本の奥深さを伝達する最も効率のよいメディアであり、戦略的に活用してはいかがか。まず、「天孫降臨」をアニメ化する。日本の神話を小中学生に、世界の子供たちに、まるで我々がかつて見た孫悟空のように、「天孫降臨」を面白く見せたいと思う。(『「日本スゴイ」のディストピア』より)

 かつて、世界経済が行き詰ったとき戦争がそれを打開してきた。もちろん、現代も軍需産業を回している限り、一部の国々、一部の企業群は経済的に潤うだろう。しかしながら、先進各国が足並みを揃えて緊縮財政といった国家財政危機に陥っている今、膨大な人口を抱える中国の台頭や先進各国の搾取の終焉、そしてグローバルな資本主義経済、自由主義経済が産み出した貧富の格差などを鑑みると、今後、先進各国が経済的に成長できる足掛かりはないように思える。アメリカ大統領選やイギリスのEU離脱から垣間みえるように、先進各国の保守化は進むのではないだろうか。

 それにも関わらず、安倍晋三首相の私的懇談会座長を務める津川雅彦の呑気な発言、及び、安倍晋三首相自身も二度目の東京オリンピックとリニア計画等によって、過去の栄華を夢みているように思える。それは一時的な経済効果をもたらすかもしれないが、日本を覆う不穏な雰囲気と貧富の格差、経済発展等の抜本的な解決には決してならないだろう。明治と昭和が平行しているように、平成が平行しているのかはわからない。しかしながら、前述したように、あらゆる条件が出揃っている今、早川タダノリ著『「日本スゴイ」のディストピア』が書かれた事由は自ずと明らかだろう。

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