【映画】「シン・ゴジラ」〜初代「ゴジラ」へのオマージュとして

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【先の戦争と戦後の境としての初代「ゴジラ」】

 庵野秀明監督の話題作「シン・ゴジラ」は、はっきりいってしまえば、諦めの映画である。もっといえば、祭りのあとですらある。それは庵野監督自身が一番知っているに違いない。

 庵野作品をほぼ観ていない私は、庵野監督の手法をどうこう語れる立場にない。しかしながら、初代「ゴジラ」を観れば、「シン・ゴジラ」がそれのオマージュとなっていることは明らかだろう。後者においても、ゴジラは凍結されたまま、死ぬことなく映画は終わる。歴代の「ゴジラ」においても、ゴジラは決して途絶えることがなかった。それが意味するものは何か。なぜ、ゴジラは続いてきたのか。映画「ゴジラ」シリーズを考えるとき、そこを素通りすることはできない。

【先の戦争と戦後の境としての初代「ゴジラ」】

 初代の映画「ゴジラ」においては、1954年(昭和29年)という時代性もあり、「ゴジラ原子力アメリカ」という図式から、「原子力」という記号が抜けている。謂わば、先の戦争(核兵器)の傷跡を引き摺ったまま、その後、輝かしい「原子力」の時代に邁進する戦後日本の境界としての側面が強い。

 科学者の芹沢が海中の酸素を無効にしてしまう架空兵器「オキシジェン・デストロイヤー」を発明してしまい、その使用に苛まれ、最後はその兵器によってゴジラを倒すと同時に、自らも命綱を断って自決するラストシーンなどは、先の戦争における特攻作戦を彷彿とさせる。そして、その打倒するところの標的は、戦後日本が受容したアメリカとしてのゴジラなのだ。

 初代「ゴジラ」について、もうひとつ触れておきたい。それは、国会答弁の場面における女性の発言だ。戦後GHQの下、選挙権を得た日本女性は、言葉を濁す男性国会議員の国会答弁で勢いよく突っ込みを入れる。しかしながら、その女性たちの言葉は、男性国会議員によって一蹴される。この場面を記憶しておこう。

【初代「ゴジラ」のオマージュとしての「シン・ゴジラ」】

 庵野監督による「シン・ゴジラ」は、初代「ゴジラ」へのオマージュだと先に記述した。

 外山恒一著『青いムーブメント』によると、反核運動は1982年に端を発している。故に、1984年の映画「ゴジラ」は、反核色が強く、時の内閣総理大臣が「非核三原則」を持ち出して米ソ首脳相手に強気の態度に出るという、リアリティーの欠けた立派な設定になっている。私はそこで1984年の「ゴジラ」を観るのを止めた。

シン・ゴジラ」ではゴジラが東京の蒲田に上陸した後、エネルギーを溜めるために一旦海中に戻って潜伏する。そして、再度ゴジラが上陸する場所は鎌倉である。言うまでもなく、ゴジラは海底の核廃棄物を燃料にして進化した恐竜の末裔として描かれている。現実では恐竜の末裔は鳥類とされているが、ゴジラは海底の核廃棄物が発する放射線に適応して残存したのだ。では、なぜゴジラが再上陸した場所が神奈川県の鎌倉なのか。これには、諸々の説があるが、私はアメリカが公言しているように、戦後、横須賀港に寄港していた核兵器を搭載した艦船が落とした核廃棄物を、暗に示していると推測している。つまり、戦後日本政府が突き通してきた「非核三原則」の嘘八百を露呈させる表現として。

 更に、鎌倉に再上陸したゴジラは体型やその他諸々、進化してすらいる。庵野監督がこのゴジラ進化に込めた本当の想いを知ることはできないが、推測することはできる。もちろん、キーワードは横須賀港であり、その沖合いの海底に沈む核廃棄物である。

シン・ゴジラ」を観て、印象に残っているシーンや台詞は多々ある。最初のゴジラ上陸と逃げまどう群衆、その後の東京都民の普段どおりの生活(なぜ避難しないのか)。

 その中でも、私の中にもっとも印象を残した台詞は「いけるぞ、さすが米軍だ」という台詞だ。当然、これは意図的な台詞だが、もうひとつ挙げるならば、ラストシーンでゴジラを凍結した後の「これで女性は大丈夫ね」(註1)という台詞である。これはゴジラが高濃度放射能を発していなかったことを受けての台詞だが、ここにも、庵野監督が初代「ゴジラ」を意識している痕跡が読み取れる。

 先に、私は初代「ゴジラ」においては、「ゴジラ原子力アメリカ」から「原子力」が抜け落ちていると述べた。「いけるぞ、さすが米軍だ」という台詞はニヒリスティックであり、庵野監督のシニシズムでもある(このシニシズムは後述する)。

 そして、「これで女性は大丈夫ね」(註1)という台詞には、ジェンダー問題を織り込んでいると思われる。つまり、男性性の疎外だ。これらはすべてが意図的な仕掛けだが、ここで初代「ゴジラ」における男性国会議員の答弁に抗う女性たちを思い出してみよう。あの場面では、男性国会議員が女性たちの声に聞く耳を持たず一蹴した。どうだろう。立派な現代的オマージュになってはいないだろうか。

【ヒーローとしてのゴジラ庵野監督の諦め】

 最後に、庵野監督の「シン・ゴジラ」においても、「ゴジラ原子力アメリカ」から「原子力」が抜けている。ここで観点を変えてみよう。打倒するべきゴジラではなく、ゴジラをヒーローとして観てみるとどうなるか。特にヒーローたる存在がいない中、ゴジラの出現によって日本政府、及び、日本国民は団結して三度目のアメリカによる核兵器使用を防いだ(正確には四度目)。3.11を彷彿とさせる日本政府対応もあるが、それでも、ゴジラの存在によって「ゴジラアメリカ」による東京壊滅を防いだのだ。私はこの点によって、ゴジラこそヒーローであると主張したい。

 しかしながら、庵野監督は初代「ゴジラ」を踏襲した「シン・ゴジラ」を、諦めの視点から製作していることも確かだ。それは、東京の真ん中で凍結して立ったままのゴジラが仄めかしている。つまり、日本国は今後も「ゴジラアメリカ」と共存していく他ないというシニシズムだ。それが「いけるぞ、さすが米軍だ」という台詞に収斂されている。

 なぜゴジラは途絶えることがなかったのか。それは、「ゴジラ原子力アメリカ」の「回路」を回し続ける他ないという諦めだろう。

 

(註1)「これで女性は大丈夫ね」という台詞は、おそらく、「これで除染は大丈夫ね」という台詞の聞き間違えだがこのままにしておく。