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【エッセイ】ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

エッセイ

 今の実家がある新興住宅地に越してきたのは、確か、昭和天皇崩御の年で、元号が平成に変わった年だったはずだ。越してきた頃は、私の実家と畑を挟んだ隣の家しかなく、如何せん、人気のない淋しい山の斜面だから、田んぼや畑から響いてくる蛙や虫の音に満ちており、どこから漂うのかわからないけど、秋の涼の季節には金木犀の香りが鼻腔を和ませた。

 山の斜面だから、当然、頂上もあり、そこを下ると小さな稲作の集落がある。頂上付近で少し道を逸れると、更に登っていく道もあり、当時はどういうわけかその道沿いがあらゆるゴミ捨て場となっていて、その頂上では在日朝鮮人がたくさんの犬を檻の中に飼っていた。そこは、「水上」という地名で、おそらくは、市内を流れる小さな川の源流があることからその地名が付けられたのだろう。

 話を戻すが、稲作の集落に山陽自動車道の高架があり、その下に短いトンネルがぽつんと造られている。それを通り抜けて更に先へ行くと、どこかの企業の水源地があり、今の実家に越してくる以前と以後、数年間、よく友人とブラックバスを釣りに行っていたものだった。残念ながら、今はその水源地は閉鎖されてしまったが、私が最初で最後のブラックバスを一匹釣ったのがその池なものだから、夕暮れから夜に向かう曖昧な時間にそこを通ると、そのときの情景を思い浮かべてしまう。

 私は車を運転するとき、トンネルに入ると出口へ向かう遠近法を妙に意識してしまう。トンネル上部のオレンジ色のライトが遠近法に倣って出口に向かって狭まるように並び、私はそのライトを次々に追い越していく。もちろん、車を運転しているのだからライトばかり見ているわけにはいかないが、しかし、この「瞬間を過ぎていく感覚」は興味深いもので、私はこれを勝手に「緩やかなワープ」と名付けている。実際、立ち止まっている人と車で移動している人とでは、後者の方がより光速に近いのだから、あながち間違いでもないだろう。

 この頃、稲作の集落にあるトンネル付近に車を止めて、闇の中、煙草を吸うことが多い。ヘッドライトを消すと、灯りは数少ないトンネルのライトだけになり、まるで幽霊でも出現しそうだが、私は幽霊を見てみたいほどで、怖くはなく、むしろ、闇の中で一番怖いのは人間だ。そんな風に煙草を吸いながら車中からぼけえっとトンネルを眺めていると、トンネルの入口と出口というのが気になり始めて、私が実家に帰るためにはそのトンネルを抜けなければならないのだけど、果たして、幹線道路網を逸脱して帰宅することは可能だろうか、ということばかり考えるようになった。

 日本中に敷設されている幹線道路網やその他の交通網を言い始めるとキリがないから、ここでは稲作の集落にある幹線道路とトンネルだけを問題とする。もし、私が入口と出口のあるトンネルを抜けることなしに、または、逆方向から国道二号線を通ることなしに実家に帰り着く方法があるとすれば、闇の中でぼけえっと煙草を吸っている暇などなく、私は入口と出口のあるトンネルを横切って険しい山林に入り込んでいき、そこから実家へ帰宅する手段を考察しなければならない。これが「ミッション・インポッシブル」であることは知っている。しかし、定められた回路から逸脱するとはそういうことなのだ。言い換えれば、闇の中でぼけえっと煙草を吸いながら入口と出口の見えるトンネルを眺めていると碌なことを考えないということでもある。

 すっかり新興住宅地になり、大字から町名に変わってしまった実家からはもう嘗てのように街を俯瞰することはできない。それでも、秋頃になると、どこから漂うのかわからない金木犀の香りが記憶を呼んでくる。「水上」の頂上へ登る道はすっかり綺麗に清掃され、頂上には現代的な太陽光パネルが無数設置されている。檻の中の犬がどうなったのか気にはなるが、今のところ、調べようとは思っていない。

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