【エッセイ】荒井謙さんのこと

 死者について書くことは難しい。そして、ある意味、不誠実でもある。なぜなら、彼らは既に死んでいるからだ。つまり、彼らはこの文章を読むこともなく、応答することもない。その一方向性は、ときに彼らへの冒涜となる可能性を孕む。生きている者、死の側ではなく、生というこちら側にいる者、つまり、彼らと思い出を共有していると思い込んでいる側の人間が、記憶だけを頼りに彼らについて文章を綴ることの滑稽さ、そして、彼らの応答不可能性ゆえに生じる不誠実さ、これらを踏まえた上で、それでも、彼らについて文章を綴ろうとする傲慢さを恥じながら、私はこれから少しばかり、死者と過ごした記憶の糸を辿ってみたいと思う。もう一度だけ言う。これは、生きている人間の、一方向的な、誤解の可能性を孕む、不誠実な文章である。

 元The Vincentsのボーカルであった荒井謙さんの訃報を知ったとき、私は特別驚くことはなかった。もちろん、一時的に、私も悲しみに暮れたが、謙さんの晩年を知る身にとっては、ついに訪れたか、といった感慨の方が深かった。私の境遇を案じてか、度々、電話をくれた謙さんは常に酔っ払っており、ときには、電話口で嘔吐することもあった。また飲んでいるのだな、と思いつつも、私は酒を止めるように忠告することはしなかった。なぜなら、私もまた、酒浸りの側の人間だったからである。私にとっては、一回りも年の離れた兄貴分の謙さんではあったが、敢えていえば、私たちはよく似た性格だったと思う。どう似ていたのかと問われれば少し言葉に窮すが、私も謙さんも極度に寂しがり屋であり、そして、弱さを抱えていた。その弱さを共有していることを知ったのは、初めて出会い、初めてお互いのことを語り合った新宿御苑でのことだった。

 夕暮れの涼しい風が吹く新宿御苑の芝生の上で、初対面であるにも関わらず、私たちはお互いの弱さについて、かなり正直に語り合った。とはいえ、会話をリードしていたのはもっぱら謙さんであり、私は問われるがままに返事をするという語り合いではあった。当時、私にとって荒井謙という固有名を伴った存在は、雲の上の人とでもいうべき存在だったからである。なんといっても、元The Vincentsのボーカル、アラケンなのだ。そんな人がどうして私などに興味を持って会ってくれるのか、皆目見当もつかなかった。しかしながら、その後、会う回数が増え、会話を積み重ねていくにつれて、荒井謙という人が抱える葛藤、言うなれば、言語化しえない言葉を持つもどかしさを抱えている人だということが分かってきた。先述した酒の話ではないが、私自身もまた、同じように言葉と格闘している似た者同士であったのだ。

 意外かもしれないが、謙さんはかなりの読書家だった。私たちはお互いが好きな小説家である、大江健三郎について何度も語り合ったものだ。傲慢であることを承知の上でいえば、謙さんの文学的側面を知っているのは、おそらく、私だけだったのではなかろうか。謙さんが口にする、音楽観や音楽業界の話も度々聞いてはいたが、私たちが話す内容は、そのほとんどが文学に関するものだった。ある日、私が書いた拙い小説を読んでもらったところ、謙さんからいたく褒められたのをよく憶えている。言葉を扱うことを正業にしたいと考えている素人にとって、信頼できる人に小説を褒められるというのはとても嬉しいものなのだ。私の方は、謙さんが書き、歌った、The Vincentsの『朝が来るまで』という曲を、尊敬の念を込めて、素晴らしい曲だと謙さんに伝えた。謙さん自身もその曲には思い入れがあったようで、喜んでもらったのを憶えている。そんな風に、私たちの関係性は、主に言葉についての関係だったのである。

 話は変わるが、いつだったか、東京の北区にあった謙さんの自宅に一週間ほど泊めてもらったときのエピソードに触れておきたい。確か、私は現金を十万円ほど持参して、謙さんの自宅を拠点に、東京に住む色々な知人たちと会うべく上京したはずだ。そのとき、謙さんは「おい、浩、赤羽のまるます家で飲む金を残しとけよ」と散々口にしていた。しかし、私は久しぶりに上京した開放感からか、湯水のように金を散財してしまい、結局、まるます家に行く金は残らなかった。それを知ったときの謙さんの激怒した顔は、多分、一生忘れることはないだろう。私が謙さんを本当の意味で心から信頼したのはそのときだったかもしれない。謙さんは本当に私と赤羽のまるます家で飲みたかったのだ。それくらい本気で怒ってくれた人を、私は後にも先にも知らない。

 最後になるが、謙さんが亡くなる二週間ほど前に、私は謙さんから電話を受け取った。それは、私の故郷、徳山の街で、アコースティックライブをしたいというものだった。私は謙さんが音楽の話を持ち出すなんて珍しいなと思ったが、それを承知して、小さなライブハウスに話を持ちかけるつもりだった。しかし、二週間後に謙さんは急逝した。私はその叶わなかった幻のアコースティックライブの情景を、いつか自分が書く物語に織り込みたいと思っている。それが完成したとき、そのときこそ、謙さんに本当の意味でさよならを言いたい。だから、それまでは、さよならは言わないつもりだ。