【エッセイ】季節はずれの雪から

 三月も下旬を迎えていたその日、とある書類をプリントアウトするため立ち寄ったネットカフェを出ると、季節はずれの雪が舞っていた。思わぬハプニングに私は驚き、咄嗟に空を見上げた。横浜駅西口界隈の賑やかなネオンに映えた白い粉雪は、音を立てず、しかし確かに私の顔に降り注いだ。私はなんだか嬉しくなり、ポケットに両手を入れて大きく息を吸い込みながら地下鉄の駅へとゆったりと歩いたのだった。

 季節はずれの雪は魔法だっただろうか。本来、あざみ野行きの電車に乗るはずが、何を思ったか、私は反対方向の湘南台行きの電車に乗ってしまった。しかも、私がそれに気付いたのは一駅通過した後、つまり、高島町駅を通過し桜木町駅に到着した時点でのことだった。私は何事もなかったかのように平然とした顔で電車を降り、反対側のホームへと歩いたが、このちょっとした事故に心当たりが全くないわけではなかった。ああ、そういうことかもしれない、と胸の中で呟きながら、地下のホーム上であざみ野行きの電車を待った。

 七、八年ほど前のことだったと思う。今の住居とほとんど同じ場所に住み、東京都港区の浜松町で働いていた頃、私は桜木町にあったとあるコーヒーショップの女性店員と恋愛関係になりかけたことがあった。その頃、私は仕事が終わると毎日のように桜木町へ赴いたものだった。仕事が休みの日も、夕方になると地下鉄の湘南台行きの電車に乗って、桜木町のそのコーヒーショップへ出かけた。店内はそれほど広くはなかったが、まだ東急東横線桜木町へ乗り入れていた時分だったから、桜木町界隈は今ほど寂れてはいなく、店もそこそこ繁盛しているようだった。私はそのコーヒーショップでゆっくりとコーヒーを飲みながら本を読み、時折通りかかるその女性とのちょっとした会話を楽しんだ。何度かデートに誘ったこともあったが、女性には旦那がいるということでいつも断わられていたのだった。今振り返ると不思議なことだが、旦那がいると告げられても、私は特に嫉妬心を持たなかったような気がする。

 どういうわけだったか、一度だけ、閉店後に桜木町周辺を一緒に歩いたことがある。私たちはどうでもいいような話をしながらあてもなく夜の桜木町駅周辺を歩いた。その女性が好きな場所があるということで、私たちは弁天橋のたもとへ降りた。対岸にはあの巨大なビル、ランドマーク・タワーが聳え立っている。私たちはベンチに座り、ランドマーク・タワーの灯りを見ながら、数時間、どうでもいいような話をして時間を過ごした。微かに聞こえる波の音と磯の香り、そして、私たちの話し声の他には何もないような時間だった。

 そのコーヒーショップは今はもうない。もちろん、あの女性ももういない。コーヒーショップがいつ消えてしまったのかを私は知らない。私はいつの間にかそのコーヒーショップへ通うのを止めていた。理由は特にない。多分、忙しかったからだろうと思う。東急東横線桜木町駅がなくなってしまった後、桜木町界隈は随分と寂れてしまったものだが、私は今でも時々横浜へ赴いた折などに、その弁天橋のたもとにあるベンチへ行くことがある。別に感傷的になっているわけではない。ただ、小さな波の音を聞き、磯の香りを嗅ぎながら対岸のランドマーク・タワーを眺めて、あんなこともあったなと、一人回顧するだけである。