2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧

【書評】トルーマン・カポーティ/無頭の鷹――雨乞いの神の子たち

雨は降らないかな? ニューヨークの街角に店を出している花屋の屋台に群がる女の子たち、彼女らが空を仰いで雨を乞う場面が象徴しているように、トルーマン・カポーティの短編小説「無頭の鷹」は、都会を灰色に染める雨を巡る小説といっても過言ではない。雨…

【エッセー】死者の幻影と記憶

父方の祖父が他界したのは、確か、七年前だったと記憶している。 当時、私は神奈川県川崎市にある古臭いシェアハウスの四畳半の部屋に住み、渋谷にあるおっぱいパブのボーイをしていた。当然だが、求人雑誌にはおっぱいパブなどとは書かれておらず、私はてっ…

【詩】◯の音

遠くインドの広場では、シタールの風にあわせてタブラ奏者の手が機械へとその傍では恋人たちが踊り出し、彼の視線の先には恋焦がれる透明なあの娘の姿がタンタン、タタタタ、タンタン、タ◯タタタタタタ、タタッタ、タタ◯タ、タンタン◯はタブラ奏者の魔法の打…

【エッセー】長崎原爆の日、キリスト教のアンチノミー

私の故郷、山口県周南市(旧徳山市)では、8月6日の午前8時15分と8月9日の午前11時02分にサイレンが鳴り響く。これがいつ始まったのかは知らないし、他の市町村で同じようにサイレンが鳴り響くのかどうかも知らない。それでも、私はものごころついたときには…

【エッセー】真夏の熱さと閃光、そして老婆の思い出

路面電車から見える窓外を現代的な都市の風景が流れていく。私はふと流れているのは自分なのではないかと思案するが、もう一度考え直してみると、まったくそのとおりなのだった。たとえば、今、コンビニ前で煙草を吸っている男性がいる。彼は瞬く間に流れて…

【論考】安保法案、そして革命、《宏大な共生感》へ

《宏大な共生感》という希望のジレンマ 大江健三郎は1959年に刊行された小説、『われらの時代』の中で、《宏大な共生感》という言葉を多用している。それは、主人公の南靖男によってこのように述懐される 希望、それはわれわれ日本の若い青年にとって、抽象…