【エッセイ】ロシア兵士の墓の前で思うこと

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 長門市通(かよい)の大越の浜に日本とロシアに纏わるふたつの墓碑があることを知ったのは昨年夏のことだった。その日、私は特に目的もなく長門市仙崎を訪れ、金子みすゞ記念館を回ったあとで青海島をドライブしているうちにそれらの墓碑のことを知ったのだった。調べてみると、墓碑のひとつは「露艦戦士の墓碑」という名前で、1905年(明治38年)5月の日本とロシアによる日本海海戦によって戦死し、付近の海を漂流したロシア兵たちの遺体を葬ったものだった。もうひとつは「常陸丸遭難者の墓碑」で、同じく日露戦争勃発後の1902年(明治37年)6月、中国に向かうため玄界灘を航行中、ロシア軍に撃沈された大型貨客船常陸丸に乗船していた日本人戦死者たちの墓碑であるらしかった。私はすぐにそれらの逸話に興味を持ったが、そのときは事情により墓まで歩いて行くことができなかった。そして、今日、ふと思い立ち、再度、青海島を訪れてみた。

 

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 私が両墓前に手を合わせている間、背後では冬の日本海に特有の荒い波が小高い山にその音を木霊させていた。私は日本人戦没者とロシア人戦没者に向けてとくに何も祈らなかった。なんとなく、手を合わせただけだった。

 

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 ウクライナ情勢が切迫しているらしいこの冬の時期に、わざわざ二時間かけて墓碑まで赴き、日露両戦没者の墓前に手を合わせるというのも奇妙なものだなとは思う。私はロシアがウクライナを侵攻することを今後も支持しないだろう。私が今日とった行動が政治的な主張にみえてしまうだろうこと、それ自体がそもそも奇妙でもある。しかしながら、祈りとはいつも奇妙なものなのだろうとも思う。