2014-01-01から1年間の記事一覧

【エッセー】死について

まずはじめに、無があった。と書くと語弊がある。無を存在させてしまうからだ。ビックバンは無から生じたのではない。無さえ存在しないところへ生じたのだ。それ以前に何があったのかは定かではない。ビックバン時のそのエネルギーは膨張し続け、現在に至る…

【エッセー】河ちゃんのこと

その売人は河ちゃんと呼ばれていた。金髪に染めた短い髪をツンと立たせ、ブルーハーツの曲をよく口ずさむことからおそらくはそのあだ名がついたのだと思う。河ちゃんはタクシードライバーでもあり、実際にそのタクシー内では常にブルーハーツの1001のバイオ…

【書評】異人娼館の怪異/檀原照和

檀原照和氏の少々面白可笑しく、そして、少々妖しいこのノンフィクションを読んで、まず私が思い浮かべたのは、2005年に行われた通称「バイバイ作戦」、つまり、あの黄金町ちょんの間一掃の様子である。当時の私は黄金町に程近い若葉町という少々危ない場所…

【エッセー】ポーの詩集を日本語で読む中国人女性

伊勢佐木町の隣の通りにある若葉町という町に住んでいた頃、友人の中国人女性である海晴がマッサージ店の呼び込みの仕事をしていたから、私は深夜によく長者町の通りのガードレールに座ってポーの詩集を読んでいた。詩集を読むのに飽きると、手持ち無沙汰に…

【エッセー】タクシードライバー

伊勢佐木町でぶらぶらと遊んで暮らしていた頃、桜木町にあった飲み屋によく通った。伊勢佐木町から桜木町までは歩いて数分の距離であり、散歩にはうってつけなのだが、その頃の私は馬鹿みたいにタクシーを利用していて、また、タクシーに乗るのが好きだった…

【ノート】幻聴のこと

以前書いたふたつの雑記をまとめました。 幻聴は内的発話の変形であるから他者に伝達することができない。普通、内的発話においては「~と自分は思った」となるのが、幻聴においては「~が~と言った」となる。そうなると、他者に伝達するためには「~が」の…

【音楽】真島昌利 - チェインギャング

チェインギャング - YouTube THE BLUE HEARTSのギタリスト、真島昌利のソロに「チェインギャング」という素晴らしい曲があるのはファンなら誰でも知っていることだろう。この曲の歌詞に以下のような一節がある。 生きているっていうことはカッコ悪いかもしれ…

【書評】トニオ・クレエゲル/トオマス・マン

トオマス・マンのそう長くはないこの小説の中には、一人の人間が如何に文学を志すようになり、文学を志す人間が如何にそうではない人間と相まみえないか、しかし、どれほど平凡に生きることに憧れそれらを愛しているか、つまり、如何に俗人であるかがすべて…

【エッセー】大津島(馬島)と高松工さんのこと

瀬戸内海というのは本州と四国に挟まれた内海であり、言い方を換えるならば、四国によって太平洋へと開かれることを阻害された内海であるとも言える。もっと言えば、本州と呼ばれる離島と四国と呼ばれる離島に挟まれた内海であると言うこともできるかもしれ…

【書評】再起動せよと雑誌はいう/仲俣暁生

始めに断っておくが、私は本書が想定するところの問題に関して決して本書の良き読者ではない。現時点で定期的に購読している雑誌は皆無だし、雑誌の流通全盛期だった80年代から90年代半ばについても雑誌の虜というわけではなかった。思春期あたりでは音楽雑…

2011年2月24日、九州電書会にて

【挨拶】 今日は九州電書会にお招きいただき、とても光栄に思っております。僕のような若輩者の無名物書きがこうやって喋ることに多少違和感がありまして、今日何を話そうかと考えていたのですが、僕は全くの無名物書きですし、知識もろくになくて本当に何も…

【詩】春への決別の歌

私には聴こえる、カーテンを閉めきったこの陰鬱な部屋で 冬の冷気が依然まだ残る、湿っぽいこの部屋で 春の訪れが予感のように歌ってらっしゃる おいでよ、おいでよ、おまえさん 私は窓際に立ち、そっとカーテンを開けてみる なるほど、太陽はまだ低く、冬露…

【エッセー】ジャッキーのこと

昔、横浜の伊勢佐木町に住んでいた頃、皆からジャッキーと呼ばれている中国人の知り合いがいた。その男は眼鏡をかけて頭を綺麗に剃り上げていたからジャッキーというあだ名がジャッキー・チェンに由来するものでないことは確かであった。私は彼の本名も生い…

【音楽】中島みゆき - 断崖~親愛なる者へ 02

断崖-親愛なる者へ- 中島みゆき J-Pop ¥250 provided courtesy of iTunes 中島みゆきの「断崖-親愛なる者へ」は、一見、人生における普遍的な寂しさのようなものを歌っているかに思えるが、その歌詞を丹念に読めば、実はひとりの相手に呼びかけているメッセ…

【詩】世界の終わりにて

思い出の中を辿るのはよして 世界が終わってしまったんだ 思い出の中を辿るのはなぜ それは、あらゆるものを秘めていた 草叢を掻き分けて、誰よりも早く川に足を浸した 浅瀬に体を仰向けて、緩やかな流れに身を任せる 真上に燦然とある真夏の太陽と青空、そ…