【雑記】幻聴のこと02

幻聴においては「至る所に私」がいる。他者に伝達不可能な、様々な内的発話、それらすべてが「至る所の私」である。精神科医はそれら多数の内的発話を、「至る所の私」を、「私」という人工的なひとつの分裂症患者に仕立て上げる。ドゥルーズが『アンチ・オイディプス』でいうところの、「いたるところに、生産する諸機械が存在する」のを妨げるのが精神科医の役目である。そこでは、「自然を自然としてではなくて、生産の過程として生きる」ことを妨げられ、「人間《あるいは自然》の中に自然《あるいは人間》を生産する過程」を奪われる。「私と私でないもの、外なるものと内なるものとの区別」がなされる。つまり、近代的自我が作り上げたあの対自然としての人間に戻されるのだ。

つまり、〈過程〉というものは、目標や目的であると考えられてはならない。また〈過程〉は、〈過程〉自身を無限に継続することと混同されてもならない。〈過程〉に目的をおいたり、あるいは〈過程〉を無限に継続するということは、厳密にいえば、その〈過程〉を早まって突然に停止してしまうことと同じことであり、それは、精神病院の中にみられるあの人工的な分裂症患者をつくりだす操作にほかならないのである。この人工的な分裂症患者とは、自閉的な行動をおしつけられてボロボロになり、分裂症の臨床実体として生みだされたひとのことなのである。ロレンスは愛についてこう語っている。「われわれは、ひとつの過程をもって目標としてしまったのだ。いかなる過程であれ、過程の目的はその過程の無限の継続ではなくて、その過程そのものの完成である……。過程が向かうべきはそれ自身の完成であって、何かしら恐ろしい増大する強度とか、何かしら恐ろしい極地などといったものなのではない。こうした極地に至れば、心も体もなくなってしまうことになるからである。――『アンチ・オイディプス』より