【書評】再起動せよと雑誌はいう/仲俣暁生

 

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 始めに断っておくが、私は本書が想定するところの問題に関して決して本書の良き読者ではない。現時点で定期的に購読している雑誌は皆無だし、雑誌の流通全盛期だった80年代から90年代半ばについても雑誌の虜というわけではなかった。思春期あたりでは音楽雑誌などを一時的に熱心に読みはしたが、成長するに従って雑誌とは疎遠になってしまった。75年生まれの私がWebの世界に入ったのは95年だが、私が雑誌から離れた理由は多分個人的なもので、必ずしもWebの発展によるものでもなかったと思う。現に今Web展開されているかつての雑誌のようなもの、あるいはブログなども私はほとんど読まないからだ。では、なぜ私は本書の書評めいたものを書こうとしているのだろうか。それは後ほど記述することにしよう。

 実際に自らも雑誌の編集に携わっていた経歴を持つ仲俣暁生氏によって書かれた本書は、さながら転げ落ちる石のような、衰退していく雑誌たちの見本市のようにも読むことができるだろう。しかし、『再起動せよと雑誌はいう』というタイトルが橋本治の『浮上せよと活字は言う』へのオマージュであることからして、著者は決して沈みゆく夕日をただ呆然と眺めているわけではない。「あとがきにかえて」という最後の章の中で仲俣氏はこう述べている。

いま、雑誌を「再起動」させる足場はどこにあるだろう、と考えたとき、それでも私は、あらためて一つの可能性が地域にあると考えたい。ある地域の雰囲気を、そこに住む人やお店の佇まいや、過去から現在にいたる文化や歴史の蓄積をふまえて伝えてくれる雑誌が、どの地域にも一冊くらいはあっていい。そのときの単位はもう、「首都圏」「京阪神」といった広域圏でも、「東京」や「大阪」といった都市単位でさえもなく、もっと小さな単位でいいのかもしれない。

 おそらく、仲俣氏は東京を一地域と捉え、それぞれの地方においてタウン誌やミニコミ誌などが「浮上」することに紙媒体としての雑誌の可能性を見ている。しかし、それは地方の地域としての自立あってこそのものではなかろうか。そもそも「東京」を意識したときに使われる一般的な意味での「地方」ではなく、単にそこにある場所としての「地方」とは可能なのだろうか。

 田中角栄日本列島改造論を唱えたのは72年のことだが、その後に行われた地方の交通網などのインフラ整備がもたらした結果は、その主張とは異なり、東京一極集中であった。地方は空間的に東京へアクセスしやすくなったのである。人が東京一極集中となれば、当然ながら物流も東京一極集中となる。そして、ある種の才能と呼ばれる人材が地方から上京し、東京から地方へ情報を流すという構造が80年代において完成し、以後、95年あたりまでに雑誌は全盛期を迎える。

 80年代半ばから後半において思春期を生きた地方の青年にとって、その時期はフィクションを生きていたようなものとして回顧されるかもしれない。東京から発信される雑誌情報にはこれがあるあれが流行っているなどと商品が列挙されている。しかし、ふと周囲を見渡せば「ここ」にあるのは本物とはちょっと何かが違うことに彼は気づく。「本物」は雑誌やテレビの向こうにあり、もしかしたら「ここ」にあるのはその真似事のような贋物かもしれないという風に。

自分というものを持っていて、それだからこそ「他人から命令される」ということを嫌悪していた人間は、しかしいつの間にか、「自分をよい方向に刺激してくれるような命令」を待望するようになる。(中略)その「救い」であるような命令を待望して、人は、焦れる。焦れて疲れて、やがて面倒なことを考えなくなる。一九七〇年代の中頃に「活字離れ」という事態が起こって、そしてそれと同時に豊かさから来る享楽が支配的なものになって行った状況の正体というものはこんなものだろうと、私は思う。「活字を読まなければならない」と思って、その活字の持つ重圧に苦しめられていた男達は多かったのだろう。そして『POPEYE』という、文字の列から文章の意味を排除してしまったような新しい雑誌は、そうした重圧に悩まされていた男達にとっては、新しい何かを示唆する「救い」のようなものでもあったのだろう。――橋本治『浮上せよと活字は言う』より

 本書によると、現在の「POPEYE」は女性誌的なデザイン・編集への路線変更がなされているらしい。かつて橋本治がそれを否定しながらも嘆いた「活字離れ」はもとより、現在では「活字離れ」を救ったかにみえた雑誌すら読まれなくなっているようだ。「すっかり世界から消えてしまったように思える初期『POPEYE』の少年的な精神は、いまはインターネット上に生き延びているのかもしれない」と仲俣氏は「POPEYE」の章を締め括っている。多分、一部のコンテンツ及び読者層は本当にWebへ移行したのだろうと思う。しかし、すべてがそうなのだろうか。

 iPadなどに代表されるタブレットの普及により、ここ数年でWebコンテンツは飛躍的に豊かになった。おそらくは、読む人間はかつてないほどにWeb上の活字を読み漁っていると思われる。では、ここで先程引用した橋本治の言葉を思い出してみたい。検索機能の利便化によっていまや人は欲しい情報を瞬時にWebから得ることができる。例えば、Google検索で「育児」と入力してスペースを入れれば候補がたくさん出てくるようになっていてとても便利である。しかし、もしかしたらこれは橋本治がいうところの「自分をよい方向に刺激してくれるような命令を待望する」に当て嵌まらないだろうか。我々は選択しているだろうか、そして、考えているだろうか。

 Amazonの配送システムは地方に居ながらにして即座に流行の書籍及びその他商品を購入可能にした。もはや80年代を地方で生きた青年が味わった「もしかすると本物はここにはないかもしれない」という少し気恥ずかしいような辛酸は現在の地方の青年にはないかもしれない。ここに臆面のない日本全国東京化が完成されている。この状況下において、「東京」という中心を意識しない意味における、つまり、単にそこにある場所としての「地方」は可能だろうかという前述の疑問に戻ることになる。

『浮上せよと活字は言う』の中で橋本治はこう述べている。

それが、いつの間にか変わった。(中略)労働で日に灼けた、それこそ「イナカの人」であるような男女が、都会の一流ホテルと言われるようなところで、格別臆する色もなく平然と対話をしている。「豊か」というのは、多分このように人の内実を変えることだろう。今や「一流」とか「都会的」にこだわるのは、その都会に住んでいる人間達だけで、都会地から離れた所に住んでいる人間達にとって、そういう「他人の信仰」は、最早なんの意味もないものになっている。「地方」というところは、いつの間にかそのような変貌を遂げて、日本人はいつの間にか、根本的なところで変わってしまっているのだ。

 

 多分、もう一度地方は変わらなければならない。「東京」を中心として考えるのではなく、「東京」は単に東京地方にある一地域として考えることができるように、「地方」も単に一地域として存在するような思考が必要なのではないだろうか。当たり前だが、どうすればそうなるのかは私には分からない。しかし、もしかしたら、単に一地域としての「地方」で流行っていることを、他の一地域としての「地方」に住む人間が知らないという状況にならない限り、「地方」におけるタウン誌やミニコミ誌の発展はないのではないだろうか。つまり、東京地方で発行されているタウン誌を他の地方の人間が知らないという状況、及びその逆も然りである。私自身は紙媒体としての雑誌の生き残りとはそのようなものかもしれないと考えている。

 最後になるが、本書は丹念になされた取材を元にした雑誌紹介の本として有益であるし、編集者として雑誌作りに携わってきた仲俣氏の編集者としての視点も随所に散りばめてあり、同人誌やミニコミ誌などを手掛ける人には興味深く有益な本ではないだろうか。私自身、知らない雑誌など多くありとても楽しく読むことができた。そして、一見衰退していく雑誌について淡々と述べられているように読めるが、「再起動せよ」と迫られているのは、実は著者の仲俣氏本人であり、そして読者である我々なのではないだろうか。我々は随分と考えなければならない時代のようである。ここに私が本書の書評めいた文章を書いてみようと思った動機がある。

我々は、すべてにわたって、もうよく分からない。分からないからこそ、手探りで考え考え進む――それしかない。――橋本治『浮上せよと活字は言う』より