【エッセー】思い出は優し

 例えば、今現在を剥ぎ取られた男とはどういう存在だろう。過去しかない男。当然、彼がすがりつけるのは記憶だけだ。記憶を思い出と言い換えてもいい。彼にとって思い出は常に優しい。思い出だけが常に優しい。そして、これはアンチノミーになるが、今現在を剥ぎ取られた彼もまた、生きている限り、刻々と過去を紡ぎ出し続けているのだ。それが時間軸というものである。今のところ、この宇宙の時間軸は未来を生産することを我々に許さないが、夢想という形で未来を思い描くことだけは許されているようだ。

 ポール・オースターの作品に『ゴースト』という題名の小説がある。探偵であるブルーがとある男を監視するよう依頼を受ける。ブルーはその男が机に向かっている様を常に監視できるように、通りを挟んだ向かいの部屋を借り、その男を監視し続ける。しかしながら、男はいっこうにブルーの監視に足るような行動を起こさない。日中、机に向かって何か書き物をし、少しばかり通りを散歩して、男はまたマンションの自室に篭もる。ブルーは徐々にその監視に飽きてくる。男が何か劇的な行動をしてくれることを望むようになる。それでも、男はブルーの期待に応えず、日々淡々と同じことを繰り返す。ブルーはまるで自身が逆に監視されているような錯覚に陥るが、それはここでは特に問題にしないでおく。

 ここで示したブルーとは、今現在を剥ぎ取られた存在である。男を監視する日々が長引くにつれ、ブルーは恋人との未来を夢想するようになる。恋人との幸せな結婚生活、つまり、未来を思い描くのだ。しかしながら、ブルーがようやく今現在を掴み取ったとき、恋人は見知らぬ男に奪われてしまっている。それはブルーにとって強烈な記憶となるだろう。一刻も早く忘却してしまいたい過去となるだろう。現実を生きるということは、つまり、そういうことなのだ。

 今現在を剥ぎ取られて生きるというのは、案外、気楽なものなのかもしれない。幸せだった過去の記憶を何度も反芻したり、お気楽に未来の幸せに思いを馳せたり、まるで死の宣告を受けてベッドに横たわっている死刑囚のように、過去の快楽と未来の快楽を貪り続けていれば良いのだ。今現在を剥ぎ取られているのだから、現実の厳しさなどどこ吹く風である。それでも、当然ながら、時間軸は先へ先へと進行する。つまり、今現在を剥ぎ取られた死刑囚もまた過去を生産し続けるのだ。しかし、死刑囚は今現在を剥ぎ取られているため、幸せな過去を生産することはできない。よって、ブルーのようにお気楽な未来を夢想するか、過去の栄華を貪るだけだ。ここでまたアンチノミーが発生する。死刑囚は死の宣告を受けているため、お先真っ暗である。彼は呑気に幸せな未来を夢想することはできない。そうして、彼の眼差しは必然的に過去の記憶へと向かうだろう。思い出を貪るように反芻するだろう。彼にとって思い出は常に優しい。思い出だけが常に優しい。まるで母胎回帰のように。