【エッセー】真夏の熱さと閃光、そして老婆の思い出

 路面電車から見える窓外を現代的な都市の風景が流れていく。私はふと流れているのは自分なのではないかと思案するが、もう一度考え直してみると、まったくそのとおりなのだった。たとえば、今、コンビニ前で煙草を吸っている男性がいる。彼は瞬く間に流れて行ってしまったが、彼にしてみると、瞬く間に流れて行ったのはまぎれもなく私であり、おそらく、彼は私の顔すら見てはいないだろう。そう考えると、見る者と見られる者の関係、あるいは、移動する者と留まる者の関係は、とても理不尽であり、そしてどこか物哀しい。

 八丁堀交差点を過ぎたあたりから、路上を歩く人が多くなり始める。私はそれら群衆と呼ぶには少々物足りない人たちが、窓の外を過ぎ去っていくのを、吊り革に掴まってぼんやりと眺めている。そして、あっ、と声を上げて、ひとりの老婆を見逃してしまった。一瞬、私の網膜に焼き付けられたその老婆は、確か、つばの広い黒い帽子を被っていて、灰色のカットソーのようなものを着ていたはずだ。私は記憶の迷宮を探ってみる。しかし、その老婆は、私の大脳皮質には保存されてはいないようだった。つまり、思い出せないのだ。そうなると、私の頭の中は老婆のことでいっぱいになり、今度は、流れて行く風景を忘れてしまった。

 私はそごうデパートが近くにある、紙屋町西停車場で路面電車を降りた。そのとき、ちょっとしたハプニングが起こった。真夏の空を見上げながら横断歩道を渡る私に向けて、後ろから叫び声がする。振り向くと、路面電車の車掌が何かを叫んでいる。前方の信号は既に点滅を始めていた。私は迷った末に、後ろ向きになって車掌に大声で問いただしながら、横断歩道を駆け足で進むという、少し体裁の悪い恰好で衆目を浴びてしまった。結局、私は横断歩道を渡りきり、車掌を乗せた路面電車も出発してしまい、憶えているのは衆目の少しばかりの薄笑いと、車掌の悲しそうな横顔といったところだった。あの車掌がいったい何を訴えていたのか、ついには分からずじまいになってしまった。

 丁度、昼食時であり、そごうデパートで汗を乾かしながら、お好み焼きでも食べようかとエスカレーターを昇る。お好み焼きを食べる前に、ついつい、LoFtを覗いた。店内を一周しながら、この人生で今後一度も使うことがないだろうと思われる雑貨だけを丹念に探してみた。女性用の小物や、化粧品の類などはまず使うことがないだろう。女装癖を覚えるには、私は歳を取り過ぎている。もちろん、何があるのか分からないのが人生ではあるけれども。私はLoFtを出て、目的のお好み焼き店に向かった。人気のある店らしく、十数分待たされたが、そば入りのお好み焼きを懐かしく思いながら完食した。最後に水を飲み、汗も乾いたところでレジに行って勘定を払った。そのとき、ポケットの中の小銭が少し多いことに気づいた。咄嗟にあの悲しげな車掌の横顔を連想したが、人生は取り返しのつかないことの連続でもあるのだと、自分を誤魔化す。私は店を出て階下に降り、通りに出たところで、海に面していない都会の熱さを身体全身に浴びた。

 食後の気だるさと降りそそぐ熱い太陽の光で、既にぐったりしながらも、私は相生通りをやや西に向けて歩き始めた。自動販売機でペットボトルのコカ・コーラを買い、それをちびちび飲みながら、そういえば、昔はこのあたりに球場があったことを思い出す。槙原投手と大野投手の好投によって、両チームとも点が入らないまま試合が終わった、あの素晴らしく退屈な夜はいつだっただろう。そんなことを考えながら歩いていると、多くの外国人観光客がカメラを構えている光景が眼前に広がる。見上げると、あの熱い閃光を浴びた遺跡が聳え立っている。私はその近くに据えられているベンチに座り、汗をハンカチで拭いながら、右手に持っていたコカ・コーラをちびちびと飲んだ。

 そうだった、私はさっき路面電車の中から一瞬見た老婆のことを考えていたのだった。あのときは、大脳皮質から老婆の記憶を引き出すことができなかったけれど、今、眼前にある古ぼけた遺跡、世界で一番最初に宇宙エネルギーの閃光を浴びた建造物が、大脳皮質のどこかを刺激し、シナプスの不思議な結合によって、記憶の迷宮から老婆を私に思い出させたのだった。二十二年前、このベンチに座っていたとき、その老婆は私の隣に腰掛けてきた。あるいは、私の方が後から座ったのかもしれない。ともかくも、私と老婆は隣り合わせにベンチに座り、無言で眼の前の遺跡を眺めていた。不思議なのは、二十二年前、老婆は既に老婆だったことだ。どちらが先に言葉を発したのかを忘れてしまったが、私は当時、おばあさんとその老婆のことを呼んだのを憶えている。その老婆の右手は、手の甲から肘にかけて火傷の痕が残っていた。そして、老婆の日本語が少し変だったのを、当時の私は訝しく思いながら、じゃあ、おばあさん、またね、とベンチを離れて行ったのだった。

 私はさっき一瞬見た老婆が、当時のその老婆と同一人物なのか、まったく証明する術がない。しかしながら、さっきあの老婆を見かけなければ、こうして二十二年前のことを回顧することもなかっただろうと思う。その意味において、さっきの老婆は、二十二年前の老婆と同じ人物なのだと、今、確信している。もちろん、二十二年前の老婆の日本語が少し変だった理由も今では分かっているつもりだ。私はコカ・コーラをちびちびと飲みながら、二十二年前の老婆が辿ったであろう、数奇な運命について思いを馳せた。太陽の光の下で人びとが平等であるのと同じように、宇宙エネルギーの下でも人びとは平等だ。しかし、この世界はときに、悪戯な天使を空に舞い踊らせ、私たちを偶然性の迷路で弄ぶ。それこそが、この世界の真実なのだと、私は今思う。ベンチに座ってそんなことを考えていると、いつの間にか、空は真夏の夕闇に包まれていた。どこの国から来たのか分からないが、白人男性が写真を撮ってくれと、私にせがむ。私は立ち上がって、デジカメを受け取り、その白人男性を含めた家族の集合写真を撮ってあげた。もちろん、あの古ぼけた遺跡を背景にして。

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