【エッセー】死者の幻影と記憶

 父方の祖父が他界したのは、確か、七年前だったと記憶している。

 当時、私は神奈川県川崎市にある古臭いシェアハウスの四畳半の部屋に住み、渋谷にあるおっぱいパブのボーイをしていた。当然だが、求人雑誌にはおっぱいパブなどとは書かれておらず、私はてっきりキャバクラのボーイだと思って応募したのだ。ニ、三日、仕事をしてみて、私はなぜ女の子たちがキャバクラではなく、おっぱいパブで働くのかさっぱり分からなくなった。おっぱいパブは、店内こそ暗いものの、キャバクラと同じように客はお酒を飲み、女の子はその接待をしなければならない。そして、サービスタイムという馬鹿げた時間になると、ボーイがマイクで卑猥な言葉を大声で連呼し、女の子たちは一斉に上半身裸になる。その時間内に客は酒臭い口で女の子にディープキスをし、おっぱいを揉みまくるのだ。それだけの仕事量をさせられながらも、女の子の時給はキャバクラとたいして変わらない。

 新人の女の子が入店したその日、私たちボーイの間では、その美貌で話題は持ちきりだった。ボーイの誰もが、その新人の女の子が初めて上半身裸になるときのことを想像していたし、また、それを見ることを楽しみにしていた。女の子の年齢は十八歳だったと思うが、肌が白くて整った顔立ちに、長く黒いロングヘアーが印象的だった。美貌というのは完璧であることではない。逆だ。欠落によって美貌が際立つのだ。その女の子に欠けていたものが何だったのか、今思い出しているが、上手くいかない。ともかくも、新人のその女の子は、その日の夜から働くことになり、出勤日だったボーイたちは皆、俺たちはラッキーだと心の内奥で拳を固めていたに違いない。ボーイたちは、何の変化もない日々、つまり、同じ女の子たちに飽き飽きしていたのだ。

 その夜、私は店内を徘徊してグラスやアイスペールを片づけたりする普通のボーイ業務と併行して、客が女の子の下半身に手を出していないか、つまり、禁止行為を見張る役割を受け持った。サービスタイムになると、必然的に、私は新人のあの女の子がついているボックス席を集中的に見張った。新人の女の子は、自分をアピールするために新人であることを強調するし、客はそれを知ると、女の子を見下し、酔いに任せて行為がエスカレートするものだからだ。店内がほぼ真っ暗になると、私はそのボックス席の斜め後ろに陣取り、二人の行為をほぼすべて垣間見た。新人のその女の子が上半身裸になったとき、私の目はその白い肌に釘付けになり、自分の仕事をすっかり忘れてしまった。自分があのボックス席に座っている客だったらどんなに幸せだろうなどと、私はほとんど客の立場になって、想像の中で、新人の女の子を弄んでいた。結果からいうと、私が夢想しているあいだに、新人の女の子は下半身を弄ばれ、それを他のボーイが制止して、客はオーナーの友人だと思われるチンピラにボコボコにされて帰ったらしい。私はオーナーから職務怠慢を言いつけられて、その日、クビになった。

 私はその後、あちこちの風俗店に勤務したがどこも長続きせず、日雇いの労働を渡り歩いて日々をやり過ごした。時々、小説を書いてみたものの、一晩経つとその文章の稚拙さに呆れて削除したり、再度小説を書き始めたりといったことを繰り返す日々だった。どういう経緯だったか忘れてしまったが、ある夜、ハッテン場として有名な横浜のとある公園内を私は泥酔して徘徊していた。ふいに、五十代だと思われる小太りのゲイに声をかけられ、話を聞いてみると、五万円で楽しまないかということだった。私は冷やかしのつもりで徘徊していたのだし、まったくのノンケだったから、そのゲイを無視してとっとと帰ることもできたはずだった。しかしながら、五万円という金銭が誘惑し、結局、私はそれに負けた。公衆便所に入ってからの私の役割はもっぱらネコだった。まず、その五十代の小太り男とのディープキスから始まり、全裸になったその男のペニスをフェラチオした。繰り返すが、私はノンケだったから、その行為は私に吐き気しか催さなかった。救いだったのは、私が泥酔していたことだ。最終的に、私は公衆便所でその男に尻を突き出し、俗にいえば、掘られ、肛門内に射精されて事を終えた。ノンケの私にとっては、快感などまったくなく、端的に、生理的に、嫌悪感だけが残ったわけだが、そこにはもうひとつ別の感情もあったと思う。行為の後、その男は五万円を渡すことを渋り始めた。口論の末、私は男の精子を肛門内に感じながら、その男をボコボコに殴り、財布を取り上げて部屋へ帰った。歯磨きを執拗にし、石けんで擦り切れるほどに身体を洗った。しかし、シャワーを浴びても、私の肛門内には異物感が残り、右手の拳には擦り傷が残った。

 男の財布を奪った後は、しばらく仕事をせず、パソコンを開いて性懲りもなく小説を書いていた。いったいこんな小説を誰が読むのだろうと思いつつ、自分を小馬鹿にしながら、少しずつ書き進めた。その小説内に戦争の描写を組み込もうと思ったとき、私はネットを徘徊し、いつの間にか、従軍慰安婦Wikipediaに辿り着いていた。そのとき、ふいに、父方の祖父を思い出したのだった。島根県の農村出身の祖父は七十年前に敗戦したあの戦争時、満州に赴任し、敗戦後はシベリアで数年強制労働をさせられ、命からがら帰ってきたという話だった。それは祖父本人からではなく、人づてに聞かされていた。幼かった頃の私はその話に隠されているであろう様々なことに無知だったが、三十歳を過ぎた私は、祖父が戦争中に中国本土で行なった可能性のある様々なことに思いを巡らせた。しかし、すぐにその想像を掻き消した。祖父本人は何もやっていない可能性もまたあるはずなのだ。それでも、私は小説を書きながら、中国本土を行軍する旧日本軍の中に無意識的に祖父を投影し続けていた。当たり前だが、小説において何かを描写するとき、まったく知らない人間を思い浮かべることはできない。

 祖父の死を知らされたとき、私は父の実家、島根県の農村で行われる葬式に出るべきかどうか迷った。他界した父方の祖父は、私の父と血縁関係になく、つまり、私にとって根源的に系統的な一族と呼べるのか、あるいは、まったくの他人なのか、私は考えあぐねたのだ。しかしながら、私を葬式に導いたのは、祖父との記憶だったと思う。子供の頃、夏休みになる度に島根県の農村へ家族で赴き、祖父に昆虫採集や魚釣りなどを教えてもらった記憶たちだ。火葬までの間、棺の中でやや変色しながら死に続けている祖父の死顔を頻繁に眺めた。私にまったく似ておらず、ややロシア系の厳しい顔をしていた祖父の死顔を見ながら、私は祖父の中に父の姿を懸命に探した。当然ながら、どれだけ凝視しても祖父の死顔に父は現れて来なかった。同時に、私は祖父が七十年前に敗戦した戦争で行なった可能性のある様々な事柄にも思いを馳せた。もしかしたら、祖父は中国本土で中国人や朝鮮人の女たちを強姦したかもしれない。また、上官の命令で幾人かの中国人を殺したかもしれない。しかし、それはあくまでも可能性だ。逆の可能性だってあるのだ、とまた私は自分を誤魔化した。その後、亡き祖父は火葬され、あっけなく、骨だけになってしまった。

 川崎市のシェアハウスに戻ると、私はまた小説に向かった。中国本土で旧日本軍の兵隊が朝鮮人の女を強姦する描写の続きだった。その朝鮮人の女を強姦している旧日本軍の兵隊は、骨だけになった亡き祖父だった。亡き祖父は畳に仰向けに寝て一切言葉も喘ぎも発しない朝鮮人の女を執拗に強姦し続けた。そして、最後に女の膣の中に射精し、次の兵隊と入れ替わった。次に朝鮮人の女を強姦し始めた兵隊もまた亡き祖父だった。私はそこで自分が無意識的に書いている文章を止めた。どこまでいっても、亡き祖父が現れて来るのが恐ろしくなったのだ。小説を書くのを止めると、ベッドに寝転んで、あの五十代の小太りの男から奪った財布を眺めた。財布の中には七万円程度入っていたから、しばらくの生活には困らなかった。財布の中にあるカード類を見ていると、名刺が一枚入っていた。その裏には手書きで「いつか一緒に住めたら幸せだね」と書かれてあり、名刺は男の名前だった。私はあの夜、公衆便所で肛門内に射精されたときに感じた、もうひとつの感情、屈辱感を思い出した。右手の拳にはまだ傷が残っている。しかし、よくよく考えてみると、あの公園はハッテン場だった。そして、あの五十代の小太りの男はゲイなのだ。私の胸中には相対する感情が芽生えていたが、それを掻き消して、性懲りもなく書きかけの小説を開いた。

 次第に金が尽きてきて、私はまたキャバクラのボーイを選んだ。川崎駅の歓楽街にあるキャバクラだったが、おっぱいパブに回されることもなく、淡々とその夜の仕事をこなした。朝方に店を閉めた後、店の女の子と少し立ち話をした。その女の子は入店二日目だということだった。そんなことは私にはどうでもいいことだったが、女の子がこれから少し仮眠して子供を幼稚園に連れていくというようなことを喋り始めたとき、ふと何か淋しさのようなものが私を襲った。私自身が淋しいのか、あるいは、女の子が淋しそうに思えたのかはよく分からない。帰りの電車の中で、子供について少し考えてみたが、やがてその想像もどこかへ消えた。部屋へ帰ると、うんざりしながらも、再度小説を開いた。朝鮮人の女を旧日本軍の兵隊が強姦している場面だ。数行書いて眠ろうと思い、続きを書き始めると、朝鮮人の女を強姦している旧日本軍の兵隊は父に代わっていた。父もまた女の膣内に射精すると、次に女を強姦し始めたのは、私だった。私はわけが分からなくなり、パソコンを開いたまま、眠ってしまった。

 目覚めると、急いでシャワーを浴びて、仕事へ出掛けた。電車内の吊り革を握って、窓外を眺めていると、ふいに直腸に射精されたときの異物感が蘇ってきて、急遽、私は職場に行くのを止めて、次の駅で電車を降りた。時刻は夕方だったが、その足で、横浜にあるあの公園へ向かった。その公園がハッテン場に変わるのは深夜になってからだ。夕暮れの公園内は、昼間に子供を連れて遊ぶ母親たちの姿もなく、私はひとりぽつんとベンチに座ってビールを飲んだ。ビールの酔いが少し回ると、欠勤の電話を掛けようか、それともばっくれようか考えた挙句、電話はかけなかった。早く深夜になって、誰か誘ってくれないものだろうか、と私は半ば冗談で、考え始めていた。酔いのせいで少し眠ったのだろう、肩を叩かれて、私は一瞬ギョッとした。見上げると、あの五十代の小太りの男が目の前に立っていた。男は先日の出来事など何も憶えていないかのように、私の耳元で「遊ぼうよ」と囁いた。私は何の躊躇いもなく、一目散に逃げ出した。公園内から路上へ、路上から駅へと、こんなに全力疾走したのは初めてではないかと思うくらい疾走した。そのとき、頭の中は真っ白だったが、なぜかひとつだけ脳裏をよぎったのは、おっぱいパブの新人の女の子の美貌についてだった。つまり、その感情の欠落だった。