【音楽】尾崎豊「卒業」にみる歌声の変遷

早熟さと時間の感覚、27クラブ

 早熟な才能というのは、ときに、悲劇的な結末をその人に与えることがある。例えば、若くしてスターダムにのし上がったロック・スターたち。その中の幾人かは、生を駆け抜けながら若さを爆発させた後、全エネルギーを使い果たしたようにこの世を去っていく。ある人は生への絶望から自死し、ある人は才能の枯渇からアルコールやドラッグに耽溺してしまうことによって。悲劇的な結末、と先述したが、それは若くして逝去したロック・スターたちを端から見ている私の想像であって、彼ら自身は、おそらく、私のような凡人とは時間の感覚がまったく異なっており、彼らなりの生を完うしたに違いない。彼らは生を瞬く間に疾走するが、それは、時間が速く過ぎ行くのではない。逆だ。彼らの時間感覚は間延びしたように遅く、それ故に、彼らは、私からするとその短い生涯の間に、才能を多く発揮させて、様々な偉業を残して去っていく。それはあたかも、宇宙理論における双子の法則のようだ。つまり、光速移動する宇宙船に乗っているのは私たちであり、私たちが暢気に宇宙遊泳を楽しんでいる間に、彼らは地球上において、その短い生涯に才能のすべてを費やす。そして、私たちが意気揚々と地球上に降り立ったとき、もうそこには彼らは存在しておらず、その偉業だけが残されている。少々、大袈裟な喩えだが、若くして逝去していく早熟な才能の持ち主にとって、時間感覚というのはそのようなものではないだろうか。

 ブライアン・ジョーンズ、ジム・モリソン、ジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョプリンカート・コバーン。彼らは誰もが知る夭折した有名なロック・スターたちだが、もちろん、その他にも若くして逝去したロック・スターは数多い。ところで、興味深いのは、彼らの多くが27歳前後で亡くなっていることだ。調べてみると、上述した5人を指して、フォーエバー27クラブ(27クラブ)と呼ばれているらしい。この事実には、医学的、あるいは、科学的な根拠のようなものがあるのだろうか。あるのだとしたら非常に興味深い。

尾崎豊にみる過剰な歌声の変遷

 夭逝したロック・スターたちの中に、26歳で急逝した尾崎豊というシンガーがいる。若干18歳でデビューした彼は、その反骨的な歌詞によって、若い熱狂的なファンを多く獲得したことから、10代のカリスマ、10代の教祖などと、マスメディアに半ば揶揄され、半ば評価されつつ、20歳を迎えるまでに、3枚のアルバムをリリースした。1stアルバム「十七歳の地図」では、透明感のある澄んだ声と少し嗄れた声、そして、男性が少年から青年になっていく過程によくみられる、あのもどかしいような落ち着かなさ、計りの上に近似した重しを乗せて微妙な平衡を保っているかのような、今にも振り子が少年の声に傾いてしまいそうな、そんな18歳の声、これら3つの歌声が複合的に披瀝されている。また、新宿ルイードで行われたデビューライブの模様はDVD化されており、18歳の尾崎豊による、既に完成されてはいるが、若さ故の不器用なパフォーマンス、及び、上述した複合的な歌声を映像として観ることができる。
 若くしてデビューしたロック・シンガーは、その成長と共に、歌声と発声方法も変化していくものだ。大抵は徐々にテクニックが巧みになり、高音部分の発声が、乱暴さを抑制して洗練されたものとなる。もちろん、尾崎豊もその例外ではないが、しかしながら、彼ほどその容姿と歌声が極端に変遷していったシンガーは他に類を見ないのではなかろうか。少なくとも、私は彼ほどの過剰な変化を他に知らない。
 2ndアルバム「回帰線」の中に、尾崎豊の代名詞ともいえる名曲「卒業」が収録されている。この曲は、おそらく、すべてのライブで歌われているはずだが、「卒業」を歌う尾崎豊の歌声と発声方法を、リリースされている音源を元に、年代別に聴き比べてみると、その歌声の過剰な変遷を伺い知ることができるだろう。
 
【未完】