【映画】カニバル、ISIS処刑動画について

はじめに

 映画「カニバル」はマヌエル・マルティン・クエンカ監督によって製作され、 2014年5月に日本で公開された。カニバリズム映画といえば、サイコパスによる猟奇的でグロテスクな映像、例えば、人肉を切り刻む、人体の内蔵の露出、多量の流血、等々を想起するのが普通だ。もちろん、この映画にも殺害シーンはあるし、主人公は人肉を食す。しかし、先述したようなグロテスクなシーンを観せられることは一切なく、むしろ、観客はスクリーンに映し出される美しく、静かで、やや退屈なシーンの連続を観せられることになる。そういう意味では、一般的なカニバリズム映画を期待していた観客にとっては少々がっかりする作りになっている。しかし、スペインのグラナダを舞台に、静寂な映像美を讃えたこの不思議なカニバリズム映画は、ある思考のヒントを所々で与えてくれる。ここでは、この映画のあらすじと私の雑感をざっと書いた後で、私たち観客の立場と、それぞれの役を演ずる俳優たち自身の立場を交えながら、少々愚考してみたいと思う。その後で、 ISISの処刑動画について私なりに愚考してみたい。

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【映画】パリ、テキサス

あらすじ

 冒頭、赤いキャップに髭面の男が砂漠を歩いているシーンからこの映画は始まる。男の名前はトラヴィス。四年前には美しい妻ジェーンと息子ハンターを持つ父親だった。しかし、トラヴィスは妻と息子を捨て、失踪してしまう。妻のジェーンはハンターを育てることができないと判断し、トラヴィスの弟ウォルトとその妻アンナ(フランス人)にハンターを預けた。砂漠を歩き続けたトラヴィスはガソリンスタンドで水を飲んで倒れこむ。名前はおろか、身分を証明する物を一切持っていなかったが、たった一枚、弟ウォルトの名刺を持っていたことから、ウォルトに連絡がつく。ウォルトは自宅のあるロサンゼルスにトラヴィスを連れて行こうとするが、トラヴィスはまるで白痴のように何も話さない。そんなトラヴィスだったが、一枚の砂漠の写真をウォルトに見せ、「パリ」と呟く。自分の父と母がそこで結ばれたのだと。ここでトラヴィスがいう「パリ」はフランスのそれではなく、テキサス州のパリだった。

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【書評】前川麻子/パレット

 前川麻子という作家は不思議な作家だ。人類が誕生して以来、多くの人間が考え続けてきた男女関係という摩訶不思議な関係を、時には淫靡な、時には淡々とした官能小説という形で私たちに提示する。その官能小説群は驚くほど淫らだが、単純にポルノとして読むわけにはいかない奥行きを持っている。官能小説の形態を借りながら、実は男女関係の機微を巧みに描いてみせる。その一方で、『ブルーハーツ』や『パレット』に代表されるように、少年少女の思春期や青春の葛藤やもどかしさを切り取った、爽やかな青春小説を軽いタッチで描いてみせる。一時期、熱心に前川麻子を読んでみて、その両刀使いに感心したものだ。

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【エッセー】私がいなくなった後の世界で

 私たちが生きている世界は常に誰かがいなくなった後の世界である。最も多くの人間が死んだ戦争、第二次世界大戦では全世界で民間人を含めた8500万の人々が死んだという統計がある。そして、今この瞬間にも世界のどこかでは様々な理由、複雑で、理不尽で、暴力的な理由によって誰かが息途絶え続けている。言い換えると、私たちは常に誰かを失い続けているわけだ。話を少し変えてみよう。例えば、個人単位の体積を考えてみる。人間の大まかな体積は、体重100キログラムの人間で0.103立法メートルであるらしい。ある人間がそこに存在するだけで、その人間はその体積によって空間を占拠している。つまり、一人の人間の存在は、空間的に他の人間を疎外せざるをえないわけだ。それは都会の繁華街で人々がひしめき合う様を想像してみればいい。私たちは自身が存在するため無自覚に、空間的に、他の人間を疎外し続けている。

 ホッブズは国家間の戦争状態こそが自然状態であるといった。カントは『永遠平和のために』の中でホッブズを引用しながら、諸国家による常備軍の全廃、協和的な国際連合の樹立による世界共和国の形成こそが永遠平和への道であると説いた。しかし、その後、ヨーロッパは一般市民をも巻き込む未曾有の総動員総力戦という泥濘に足を突っ込むこととなる。これは人類が初めて経験した近代戦争として私たちに記憶されている。この地球規模の大戦の後、国際連盟が樹立されるが、その甲斐も虚しく、私たちの世界は次の大戦に突き進んでいくことになる。そこで人類が見たのは戦争の名の下における超合理的な殺戮だった。ファシズムの台頭、軍国主義、破壊に次ぐ破壊、ホロコースト、二度の原子力爆弾の使用。人類はそれ自体が手に負えない兵器まで作り出してしまった。それでも戦後には戦勝国によって再度国際連合が創設される。しかし、私たちの悪夢は終わらない。世界は大まかにみてふたつの政治形態に分割され、冷たい戦争という、謂わば戦争なき戦争、不気味な均衡に支えられることになる。この冷戦と呼ばれた奇妙な均衡は、いわゆる東側の大国、ソヴィエト連邦の崩壊によって終焉する。しかしながら、この冷戦終焉によって世界は再構築される必要に迫られ、その混乱は現代まで尾を引いている。ISISの蛮行を挙げるまでもなく、私たちの世界ではいまだ、ここかしこで戦闘行為が続いている。先述したように、私自身は、個体単位の人間ですら体積による空間的な他人の疎外があるのだから、国境線という人間の恣意的な意図によって分かたれた国家間が争い続けるのは仕方がないと思っている。

 私たちの世界は、私たち自身の手によって、私たちの手には負えない物質を作り出した。通常、地球にはないエネルギー、原子力である。上述しているように、その宇宙的なエネルギーは、原子力爆弾という兵器として人類によって人類自身に二度使用された。それ以降、兵器として使用されたことはないが、未来において使用されない保証はどこにもない。また、その原子力エネルギーは未来を明るく灯す発電エネルギーとして世界中の人々に歓迎された。ある国では、原子力発電所の建設地にあたる市町村へ政府が原発マネーをばら撒き、その市町村は財政的には潤った。だが、もちろん、原子力発電所に異を唱える住民もおり、原子力マネーによって軋轢が生まれた市町村もあった。それでも、原子力発電所は輝かしい未来、科学の進歩として運転され続けた。そして、私たち人類は、二度の大規模な原子力発電所事故を経験し、人類が生み出し人類自身には制御できない宇宙エネルギーの痛手を受けることになる。ある国では事故収束の目処が全く立っていないにも関わらず、今後も原子力エネルギーを使い続けることを政府が決定し、国民の大半はそれを支持している。

 21世紀に入るとユーラシア大陸の東に位置する広大な領土を持つ国、永らく「眠れる獅子」と呼ばれ続けた国が漸く目を覚ました。その経済発展はめざましく、膨大な人口と有り余った領土を活用しながら次々と都市を開発し、嘗て四大文明のひとつを育んだ美しい河川を工業用水で汚し、肥沃な大地を不毛なそれへと変えていった。しかしながら、過去に経済発展したどの国でもそうだが、国が抱える全ての民を豊かにすることはできない。目覚めた獅子も当然その例に漏れず、膨大な人口のすべてを豊かにはできていない。むしろ、この国ほど大幅な貧富の差を産んだ国はこれまでなかったかもしれない。しかし、世界一の膨大な人口を抱える国である。富裕層だけでもどこかの国家並みの人口を擁し、その購買力は世界中を驚かせ続けている。元来、覇権国家だったこともあり、経済力を持つと必然的に軍備拡張にも走るようになる。二度の大戦を経た現代、世界のヘゲモニーを握っているのは、ユーラシア大陸から大西洋を挟んだ西に位置するアメリカ大陸にある国家だが、今後の未来において、この世界の警察官と目覚めた獅子が衝突しないとも限らない。それは総破壊、つまり、世界最終戦争となるだろうか。それとも、嘗て、私たちの世界が経験した代理戦争という形態をとるのだろうか。先述したように、紛争は世界中で続いている。ホッブズは言った、戦争状態こそ自然状態であると。私たちの世界は未来において、総破壊、人類滅亡を選ぶだろうか。それとも、理性の力が勝り、カントが願った「永遠平和」、世界共和国への道を選択するのだろうか。そして、人類が後者を選択した場合、最後のフロンティア、宇宙へと進出して行くのだろうか。現時点ではそれは誰にも分からない。しかし、もう暫くの間、人類は互いに戦い合うことをやめないだろう。私ひとり分の体積、空間を空っぽにしたまま。

【エッセー】トルーマン・カポーティ「無頭の鷹」を読んで

 トルーマン・カポーティーといえば『冷血』や『ティファニーで朝食を』などの小説が有名だろうか。もしくは、アラバマを舞台にほのぼのとした日常を綴った小説群を好む読者も多いかもしれない。しかし、私は彼のデビュー作である短編小説「ミリアム」を始めとする、都会に生きる人間の微かな狂気を切り取ったような短編小説群を好んでカポーティーを読んできた。少し大袈裟な言葉でいえば、リアリズムとシュールレアリスムの中間にあたるような、カポーティー独特の静謐な文体で書かれた都会的な短編小説たち。その中でも、私が青年時代から飽くことなく読み続けてきたのが「無頭の鷹」である。この短編小説を何度読んだかはもう思い出せないが、もしかすると、この小説はすべて夢の中の話なのかもしれない、という私の疑念はいまだ解かれていない。

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【エッセー】思い出は優し

 例えば、今現在を剥ぎ取られた男とはどういう存在だろう。過去しかない男。当然、彼がすがりつけるのは記憶だけだ。記憶を思い出と言い換えてもいい。彼にとって思い出は常に優しい。思い出だけが常に優しい。そして、これはアンチノミーになるが、今現在を剥ぎ取られた彼もまた、生きている限り、刻々と過去を紡ぎ出し続けているのだ。それが時間軸というものである。今のところ、この宇宙の時間軸は未来を生産することを我々に許さないが、夢想という形で未来を思い描くことだけは許されているようだ。

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【エッセー】街路樹

 四時間も待たされた後だった。もちろん、明子からはそれまでに次々と遅刻を知らせるメールは受け取っていた。でも、僕はそんな理由なんて信じていなく、最後の方はメールすら確認しなかった。僕はさっきまで見ていた昨夜の夢の続きから醒め、街中を見回した。真夏の暑さの中では人も車も様々なものがスローモーションになって目に映えてくる。例えば、今、緑色のタクシーが黒の乗用車を追い抜いた。その映像が僕の脳内でスローモーション再生されるスピードと、灼熱の炉の中でガラスか何かがゆっくりと溶けていく時間は等しく歪んでいる。そんな風に街中を見回した後、僕は視線を足下に移した。踏み潰された灰色のコカ・コーラの缶がある。いまどき灰色のコカ・コーラなんてどこから持ってきたのだろうか。熱い太陽は僕の視覚だけでなく、記憶も歪めてしまったのだろうか。空を見上げてみた。六月の晴れ渡った青い空に中心を無くした太陽の破片がある。吹き上げてくる地下鉄の風がよりいっそう街を熱くさせるようだ。

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