【エッセイ】2016年、参議院選挙投票日の憂鬱

 参議院選挙の投票日にこんな文章を書くのもなんだか憂鬱だが、もっと憂鬱なのは、冒頭から夢も希望もないことを書かざるを得ないことだ。

 今回の参議院選挙で与党、現政権が圧勝するのは誰もが知っている。そして、その圧勝するであろう現政権の内閣総理大臣である安倍晋三首相は、経済政策としては「アベノミクス」というデフレ脱却を推進する実体経済を伴わない造語を連呼しながら果てしのない夢をみていて、どうせいつか改憲するであろう憲法草案は日米安保の観点からだけを考慮すると、彼が提唱する「戦後レジームからの脱却」どころか「戦後レジームの強化」だ。今回の参議院選挙の主な争点となっている増税と再分配、高齢者福祉の充実、年金問題、そして様々な格差是正については、与党のみならず共闘を掲げる野党も似たり寄ったりである。

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【書評】早川タダノリ著 /「日本スゴイ」のディストピア――戦時下自画自賛の系譜

嫌韓本と日本礼賛本の氾濫】

 嫌韓愛国心高揚を掲げた日本を自画自賛する新書等が、本屋の目立つ場所に平積みされ始めたのはいつ頃からだろうか。現政権を担う内閣総理大臣安倍晋三首相が「美しい日本」、「一億総活躍社会」等、きな臭い言葉を使い始めたことは、おそらく、嫌韓本や日本礼賛本の氾濫の結果だと思われる。安倍晋三首相をあげつらうのならば、むしろ、「アベノミクス」という経済的な造語を揶揄するべきかもしれない。実際、マイノリティ排斥と自国礼賛は、経済的な問題に起因するからだ。

 経済的に凋落し始めた国家は革新なき保守に向かい、閉塞的で自国礼賛的言説によって、現実から逃避し始める傾向があることは歴史が証明している。もちろん、自国礼賛、つまり、ナショナリズムの高揚とはナルシシズムの慰撫とも関連しているだろう。

 早川タダノリ著『「日本スゴイ」のディストピア―戦時下自画自賛の系譜』は、昭和のはじまりから大東亜戦争敗戦までの間に出版された日本礼賛本、それも皇国史観を背景にした大東亜戦時下の「トンデモなく日本スゴイ本」が、丹念な資料蒐集によって集約された本である。思わず笑ってしまいそうになるくだらない「トンデモ本」から(実際には笑えないのだが)、天皇を頂点とした国体下での臣民のあるべき姿を大真面目に論じた「トンデモ本」まで、約五十冊の「トンデモなく日本スゴイ本」が夥しい参考文献とともに紹介されている。それらすべてをここで列挙することはできないが、私がこの本の中で特に目についた箇所は、著者自身も本書で述べているように、現代の日本において尚残存しているものも多い。

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【映画】Buffalo'66

【ユーモアからヒューモアへの転換】

 映画「Buffalo'66」について、今更語るべきことは何もないように思える。それでもこの映画について何かを語るとするならば、少しだけ着眼点を変えなければならない。つまり、ありきたりな鑑賞の仕方ではなく、私はこの映画から少し逸脱する必要があるはずだ。

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【書評】フェルディナント・フォン・シーラッハ短篇集『犯罪』を読んで

事件においては誰もが犯人でありうる

 数年前に話題になった、ドイツ人作家フェルディナント・フォン・シーラッハの処女短篇集『犯罪』を、一篇ずつゆっくりと読んだ。短篇集というのは、一度通読したものは別として、一息に読むのが難しい。それが、短篇の名手なら尚更のことだ。短篇小説では多くの事柄が省かれる。あるいは、意図的に隠蔽される。ポーの短篇小説は少し異なるが、基本的に、短篇小説には説明がなく、換喩によって事柄が表現される。短篇小説の名手ほど、その方法が巧みであり、読者は、作家によって意図的に置き換えられた何かを、読後にじっくり考える必要があるだろう。その意味で、優れた短篇集を一息に読むのは、とても難しいことなのだ。

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【音楽】尾崎豊「卒業」にみる歌声の変遷

早熟さと時間の感覚、27クラブ

 早熟な才能というのは、ときに、悲劇的な結末をその人に与えることがある。例えば、若くしてスターダムにのし上がったロック・スターたち。その中の幾人かは、生を駆け抜けながら若さを爆発させた後、全エネルギーを使い果たしたようにこの世を去っていく。ある人は生への絶望から自死し、ある人は才能の枯渇からアルコールやドラッグに耽溺してしまうことによって。悲劇的な結末、と先述したが、それは若くして逝去したロック・スターたちを端から見ている私の想像であって、彼ら自身は、おそらく、私のような凡人とは時間の感覚がまったく異なっており、彼らなりの生を完うしたに違いない。彼らは生を瞬く間に疾走するが、それは、時間が速く過ぎ行くのではない。逆だ。彼らの時間感覚は間延びしたように遅く、それ故に、彼らは、私からするとその短い生涯の間に、才能を多く発揮させて、様々な偉業を残して去っていく。それはあたかも、宇宙理論における双子の法則のようだ。つまり、光速移動する宇宙船に乗っているのは私たちであり、私たちが暢気に宇宙遊泳を楽しんでいる間に、彼らは地球上において、その短い生涯に才能のすべてを費やす。そして、私たちが意気揚々と地球上に降り立ったとき、もうそこには彼らは存在しておらず、その偉業だけが残されている。少々、大袈裟な喩えだが、若くして逝去していく早熟な才能の持ち主にとって、時間感覚というのはそのようなものではないだろうか。

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【音楽】尾崎豊/永遠の胸

 印象的なギターソロから始まる尾崎豊の「永遠の胸」は、1990年にリリースされた20代の尾崎豊の集大成ともいえる二枚組アルバム『BIRTH』に収められている楽曲である。7分47秒という楽曲の長さもさることながら、その雄大なメロディーラインと、少しの切実さと憂いの入り混じったダイナミックなボーカル、これらが調和されたスケールの大きな一大叙情詩のような楽曲となっている。尾崎豊といえば、10代の間に3枚のアルバムをリリースし、その反抗的な歌詞によって、デビュー時から若者のカリスマ、若者の教祖などと、マスコミに半ば揶揄され、半ば称賛されていたシンガー・ソングライターだが、20代に入ってからの楽曲群はそれほど評価されていない。ここで尾崎豊について語る気はないが、20代の尾崎豊の楽曲の素晴らしさを、少しでも紹介できればと思っている。

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【音楽】中島みゆき/時刻表

 中島みゆきの楽曲群の中に、ひっそりと佇んでいる名曲がある。「時刻表」という曲だ。中島みゆきの歌声もどこか淋しげではあるが、ありふれた人間像を歌いながら、自身もまたありふれた人間のようである歌い手の絶望的な淋しさが木霊するような曲である。サビの部分で唐突に「海」という言葉が出てくる。絶望的な淋しさを示唆した後に歌われる「海」は、ある意味では、自殺という行為の外示として解釈することもできる。曲は歌い手が時刻表を見上げて、次の朝まで海へ行くのか行かないのか(あるいは、行ったのか行かなかったのか)、結末を曖昧にしたまま終わる。

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